解放

一昨日、なんでだろう、散歩していて不意に浮かんだ。

個性なんていらない。

鬱々としていたころ、人と比べて落ち込み、どうして私は普通に生きられないのだろうと苦しかった。

悲しかったという方が近いかもしれない。

それから出会った言葉は「自分らしく」。

人と比べる必要はない、自分らしく生きればいい。

そういうけれど、私らしさってなに?私の強みってなに?私にしか無い魅力ってなに?

なにも思いつかない。微かな「らしさ」を探してそれだけを磨こうと思ってもそれが、見つからない。

よけい悲しく落ち込んだ。

それから今度は、私の生まれてきた意味って何。指名ってなんだろうってことだった。

魅力も個性も強みもないのなら、私はなんのためにこの世界にきたんだろう。

私に求められている何かがきっとあるはず。それはなに?

家族のために、彼らが暮らしやすいように社会で活躍しやすいように、支えることが自分の役割なのかもな。

それもいい人生だな。そこで私は輝くようにできているのかもしれない。

それでもなにかを探していた。

これでいいのか。これが私らしさか。

 

個性なんていらない。

ふと浮かんだ。

誰かと自分を区別する必要なんてない。

意味づける必要もないし、気の利いたことをする必要もない。

ただ、私であればいい。

らしさもなにも関係なく、だた、そこに生息していればいいんだ。

なにも残す必要もなく、評価される必要もなく、認められる必要もない。

特別面白い人にならなくていい。

自分で自分を認めていればとおもっていたけれど、それすらいらない。

ただ、私であればいい。

私は私です。それで充分です。

 

そう気がついたら毎日が気楽になった。

気楽になったら自分のことを好きでも嫌いでもなく、ただ、愛着のある人と思うようになった。

不完全さから解放された。