恥ずかしい。でも一歩前進。

昨日、ぼんやり考えた。

母のこと、姉のこと。

二人のことは好きだ。大切だし愛している。

が、いまひとつ本音で付き合っていない気がする。夫に対してほどストレートに表現しない。

子供の頃、思春期には、何度か揺さぶったこともあった。喧嘩をふっかけたり泣きながら訴えたこともあった。

その度にうるさがられた。

何バカなこと言ってんの。頑固。気難しい。癇癪持ち。

母にしてみればいちいち過敏に反応し、しつこく自己主張をしてくるめんどくさい子だったのだろう。

確かにそうだったのかもしれない。

ちゃんと向き合ってもらった記憶はない。

いつもはぐらかされた。そしてとんでもない時に家族の前や親戚の集まりでその件を披露され話のネタにされた。

それでその場は盛り上がる。みんなが笑って「ほうら、ごらん」と言われる。

ここでやるかよ。ずるい。悔しかった。

私の恐れはそこにあるのかもしれない。

二人に上から目線で軽く扱われること。どうでもいい暇つぶしの笑いのネタにされること。

自尊心が傷つく。油断すると不意打ちでそれはやってくるから、常に警戒しているのかもしれない。

愛情表現のつもりだから悪びれない。だから怒ると余計呆れられる。

常に私の頭に住み着いていたものの正体は、母と姉に嗤われることだったのか。

なんと・・・。

うっすら自覚はあったがこんなにも根深く、いまだに許しきっていないということか。

 

愛されているなあって思ったことがない。

大事にされているって感じることは何度もあるのに。大事にすることこそ愛なのに。

私はちゃんとそこを受け取れていない。

そこに気がついて、びっくりした。ちょっとショックだ。

まさか、あれだけ手をかけてもらったのに。

申し訳ない気持ちになった。

母も一生懸命だったのに。

姉も私を愛しているのに。

でも気がついてよかった。心の中でずっと拗ねていた未熟で我儘な自分を発見し恥ずかしい。その幼稚さも。

でも、寄り添ってやりたい。

その子が私の中にいると見つけた。

整理整頓ができた。少し、落ち着いた。

 

ちょっと凹んだけど、許すことにした

結局、昨日はタイツを脱いで出かけた。

朝から機嫌よくさっさと履いていた。それぞれ予定があったのでお墓の前のお花屋さんに夫と息子と午後2時半に現地集合の約束だった。

簡単に夕飯の準備をし、昼ごはんを食べる。

立ち仕事をしながらじわじわ感じていた違和感がピークに達した。苦しい。めまいまでする。心臓がバクバクいう。

それでも未練たらしく粘ってみたが、ダメだった。

諦めて脱ぐ。脱ぎなら、自分に言う。

よく頑張った。進歩していたことには変わりない。諦めるな。ここからまた少しづつ慣らしていけば先は明るい。

いつもの楽ちんなスパッツとスカートとスニーカーで家を出た。

夫が先に来た。

紙袋を持っている。ここに来る途中に買ってきたと有名な果物屋のゼリーと息子にとショートケーキだった。

私へのホワイトデーがわりだと嬉しそうに笑う。

ありがとう。嬉しい。

そういう代わりに私は困った顔をしてしまう。もしかしたら嫌悪感を表したもっと嫌な表情だったかもしれない。

私は食べられないのだ。

なぜか、不意打ちのように出てくる誰かが買った食べ物を口に入れるのにものすごい葛藤がある。

頑張れば食べられるのだが、精神的にパニックに近いような落ち着きのない状態になる。

体質と持病の関係で食べてはいけない食品がある。

そしてそれを我慢させるために母にそれを食べたらあなたは死ぬと言われ続けた。

若かった母も必死だったし、本気でそう思っていたのだ。

そして、そんな私のへなちょこな体質を使えないやつだと半分冗談、半分本気でいつも揶揄った。

そんなことがこんがらがって、いつの間にか私は自分は人より劣った恥ずかしい存在だと思う。そしてさらにそれを拗らせてなんとか認められたいと思う。そして気がつくと何を食べてもいけないような、気分になってしまった。

食べることで楽しんではいけないと今でもどこかで思ってしまう。早死にしてしまうのではないか、精神のバランスを崩すのではないか。

実際のところ、少しくらいタブーな食材や外食をしてもすぐどうこうなるような身体ではない。

気をつけないといけないよと、医者が言っただけなのだ。

 

嬉しそうに笑っていた夫の顔がみるみる萎む。

ああ。どうして私はこうなんだ。どうしてここで手放しでわーいと言って食べないんだ。

夫を悲しませた自分が悔しい。そんな自分にがっかりする。うんざりする。

でも、許すことにした。責めない。責めそうになったけど、仕方ないね、いいんだよ、大丈夫と自分に向かって心で言う。

こんなややこしく気難しい自分に至ったのには私にしかわからない道のりがある。

夫は別に機嫌悪くはならなかった。ごめんと言って笑う。そのおおらかさにまた落ち込んだ。

でも許そうと思う。この今の自分の全てを許してやろうと思う。

夫がかわいそうだった。

夫に一生懸命尽くそう。

タイツ

タイツが履けるようになった。

倒れる少し前から、履けなくなっていた。きゅっと足を包み込むあの圧に負けてしまう。膝下はまだなんとかなったが太もも、腹周りを締め付けられるのに内臓が押され、苦しく気分が悪くなる。

圧力の強いストッキングを履いていたわけでもなく、ゆるいゆるい毛糸のタイツでもダメだった。二つ、サイズを上げてみたがそれでも苦しい。思い切ってお腹のゴムにハサミを入れて切り込みを作ったがそれでもダメだった。

諦め、緩めのスパッツか下着を重ねて履いて冬はなんとか乗り切る。秋、春はスパッツ。冬は緩めを重ねばき。

色気も何もあったものではないが、そんな洒落っ気ももうどうでも良くなっていた。

歩くことに、立っていることに、出歩くことに必死。それができりゃあ、なんでもいい。

退院してからは外界を絶っていた時期が長かったので身なりなんてどうでも良かったのだ。

今朝、ふと、何を思ったか、箪笥の一番上の靴下をしまっている引き出しの中のタイツに目が入った。

幼稚園児が履いているような地厚のもので、モスグリーン。

・・・。

今日はお墓参りに行く。気温も高く晴れる。昨夜から何を着ていこうかとぼんやり考えていた。

あったかいらしいからスカート履きたいなあ。上に合わせるカーディガンもイメージするが、足元で悩む。

ブーツって季節でもないし。スカートの下からあの毛玉だらけの黒いスパッツじゃあなぁ。

いつものように黒い長ズボンにするか・・・楽だし。

それでも春の陽気に浮かれてちょっとお洒落をしたかった。

・・・。

納戸の椅子に腰掛け、タイツをよーく伸ばす。洗濯して縮まったナイロンを丹念に丹念に縦横に引っ張る。

少しでも圧力を少なくするためだ。

履いてみた。

きゅうっとつま先からふくらはぎ、太もも、下っ腹、お尻、胃袋のあたりまで詰め込まれるように抑え込まれる。

お腹の辺りに締まってくるゴムが思っていたほど辛くない。

むしろ、グッと支えてもらってシャキッとする。

いける。今日、これ履いてスカートで出かけよう。ベージュのあのスカートに空色のハイネックのセーター。無印のトレンチコート。

内臓が元気になったのだ。腹筋もついてきたのだ。

タイツの圧に負けなくなっていた。

もう一生、自分はタイツもストッキングも無理だと思っていた。

別に悲しくも思っていなかった。困ってもいなかった。

でも、嬉しい。

身体は進歩していた。