ごめん

残業続きでボロボロの姉が「年内、都内のホテルをとって一泊してやろうと思ってるけど来る?」と誘いにやってきた。

断った。

「うーん、年内はもういいや、ごめん」

「あ、そ」

「ごめんね」

なんとも言えない表情だった。当然、妹は「いいですねえ」と乗ってくるものと思っていたのだろう。

私とどうしても行きたかったわけでもないかもしれない。

自分に付き合う口実で家事から解放して連れ出してやろうという姉心だったのかもしれない。

それでもあの顔はちょっと寂しそうに見えた。

本当に寂しかったのかどうかもこちらの勝手な妄想かもしれないが、断っておきながら引きずった。

どうしてそこで陽気に「わーい」と喜べないんだ。

今の私は誰かとお泊まりをするというのは相当ハードルが高い。

近く予定されている数時間の夜の会合だけでも今から胃が痛い。もうこれ以上ハードルを設けたくない。

罪悪感の理由はそれじゃない。

姉との二人行動は疲れる。母とも疲れるが姉も、疲れる。

なぜだ。なぜ自分の実家にこんなに神経を張るのだろう。

私が私の思うままに行動をするといつも二人はがっかりする。がっかりさせないように気を使う。自分じゃなくなる。

そしてずっとそうしているから、二人に合わせているもう一つの人格の私が出来上がった。

もうできるだけ、あるがままの自分でいたい。

それで、思い切って断った。

「え・・」

という意外な表情が頭から消えない。よく眠れなかった。

ごめんね。ごめんね。ごめんね。

多分、付き合ってあげればいいのにと、母はやんわり私を咎めるだろう。

それでいい。

私が私であることを選んだのだから、相手にどう反応しろとは言えない。

初めはギクシャクうまくできないだろうが、何事も練習。そして人は慣れる。慣れて諦める。

お姉さんともお母さんとも小さく距離を保とうとする妹。

ごめん。

最後の授業

健診日だった。今の担当医ともあと一回。

8月にこの病院での検診も年内までと言われ、途方にくれた。総合内科での診察なのにいつも時間をかけて私の日々の状態を聞いてくれる先生だった。

厄介な袋を腰にぶら下げていると思うといい。なんかぶらぶら面倒なのがくっついてるわネって程度に自分の症状と付き合っていけばいいんです。

私の袋は内蔵にも、脳にも、神経にも、血液にも、ぶらんぶらん腰蓑のようにくっついている。

それぞれは今すぐ、命に関わるほどのことでもない。

でも生活していく上で気をつけないとならない。

くるっと右を向けばダンっと袋が当たる。慌てて左を向けば今度は反対の袋がドンっとぶつかる。

ああもうっ。とヤケになって暴れると、袋に穴が空き、中から砂がこぼれ落ちてくる。

ほんと厄介。

でも先生にこの袋理論の解釈を教えてもらってから気が楽になった。

治そう、と思わない。ぶらぶらさせたまま、生きていく。

生きていて申し訳ないとも思わなくなった。

できる範囲でできることを楽しんで、役に立てそうなところで役に立てばいい。

だって、そうなんだもの。これが私なんだもの。

この前、ぼんやり考えていたら、自分が過去、出産を含めると5回、入院をしていることに気がついた。

そのうち、1回はICU、手術2回。

精神科に通うこと3年。

よく生きてきた。

そしてこれからも生きていく。

「母さんはブラックフライデーに何か買ったの」

「んにゃ」

「父さんばっかり金使って、母さんも何か好きなもの買え。服とか、パソコンとか、なんでもいいから楽しめ」

欲しいもの。

自分だけの部屋。

大きなデスク。

ごろ寝用のソファ。

どんなに歩いても疲れない靴。

鬱だった頃、欲しいものがなかった。生きる気力がない時、私は物欲も何もなかった。

化粧もしなかった。歯磨きも入浴も、いい加減だった。

ただ目覚め、食べて、家事をして、寝る。

会話を楽しむことも、ドラマを見ることも何も楽しいことがなく、ただただ時間が過ぎていくのを待ち、また眠った。

欲しいものがあるということ。

海外ドラマを見て一日ゴロゴロ過ごす寒い日曜日。

家族との会話、笑う声、食卓。

窓に立って見送る瞬間。

ああ生きてるなあ。

今、生きてる。

「先生とお話しできるのもあと一回なんですね。大丈夫と思っていたけれど、やっぱり残念です」

もう私を具体的に導いてくれる人はいなくなる。

「これからも、頑張って生きます」

笑っていうと先生も笑った。

「頑張らないで生きましょう」

人は生きているだけでいろいろあるから。頑張らなくていいんです。

 

 

乗り越えたい

「今度の木曜日、私は飲み会です。」

土曜の夕飯、家族三人揃ったところで業務連絡っぽく伝えた。

いよいよだ。あえて意識しないようにしていたが、大学時代のアルバイト仲間四人が集まる日が近づいている。

いや、意識しないなんて嘘。目一杯してる。ここ最近、ずっとそのことが頭の隅っこに鎮座している。

引きこもってもう何年。一人きりでなら、どこにでも行ける。体力のことを別にすれば。家族と親しい友人とは短い時間でなら一緒に行動することも会話もできる。しかし相変わらずママ友の同窓会も、習い事も、旅行も、できない。

他者といるとどうしても自分と向き合う。勝手に自分と照らし合わせ落ち込む。

自分一人でいる時のあの安らぎの中から出ていくのを怖がる。

勝手になのだ。誰に何を言われることがなくても、勝手にそれは怒る。この思考癖をどうにかしたい。

気がつくと自分を恥ずべき存在だとしてしまう。最近になって「そんなにダメでもないかもしれない」と浮かぶ瞬間も出てきたが、まだ弱い。些細な刺激ですぐブレブレになり、薙ぎ倒される。

全部自分の頭の中の思考で、外界はそれを呼び起こす刺激なのだということもわかっている。

でも、どうしても自分は見た目が悪いと、野暮ったく変わり者だと、なんの取り柄もないと、そこに強く意識がいく。

このアルバイト仲間の集まりも本当は乗り気ではなかった。

「私たちを信じて」

そう、その中の一人、ほぼ親友の彼女が言った。

本当にそう。彼らは違う。あの暖かい空気感。彼らは今でも変わらず暖かいだろう。

ここを乗り越えられたら、何かが開けるかもしれない。

それで行く決心をした。

しかし怖いものは怖いのだ。飛ぶぞと決めているバンジージャンプの崖の上に突っ立っている気分。

信じているけれど、疑っていないけれど、恐怖心は消えない。

「誰と飲むの」

息子が聞いた。

「昔、大学生の時に一緒にバイトしてた仲良し四人組。でもさあ、懐かしくて行ってみたいなあと思うものの、この容姿がさあ。その中の一人はお母さんのこと好きだって告白してくれた子なんだよ。その子がお母さんに会いたいって言っているっていうの聞くとさ。腰が引けるわけよ。こんなやつれて、目は窪んで、こんなとこに線が入って、ギョッとするだろうなあって」

私は自分のくっきり模様のように入っているほうれい線のところを両方の人差し指で包むようにして照れ笑いをした。

「そんなこと言う連中だったら碌な奴じゃない」

「わかってる。そんな人たちじゃないんだよ。でもさ、昔の印象を頭に浮かべてパッとこの顔を見たらギョッとするだろうなあって。その表情に自分で落ち混むんじゃないかって怖いんだよぉ」

「そんなことで顔に出すような奴とは付き合う必要ない。」

「うん、ミリちゃんも私たちを信じてって言ってくれてるんだけどさ」

すると息子が眉間の皺をパッと消した。

「なんだミリちゃんの企画か。ミリちゃんも来るんだな。それなら大丈夫、ミリちゃんがいるなら大丈夫だ」

私が外出していく唯一の友人であることを息子は知っている。

その仲間なら大丈夫だと言う。

「そんなことで何か言う連中だったら碌なもんじゃない。」

もう一度息子は言った。夫は知らんふりでテレビを見ている。

きっと気にも留めるほどでもない、どうでもいいことだと流しているのだ。

どうでもいいことだと流すのは、夫がすでに私より私を丸ごと受け入れているから、論ずるほどのことでもないという現れなのかもしれない。

背中をぐいっと押された。帰る場所はここにある。何を怖がっているんだ。命まで持って行かれるわけじゃなし。

覚悟と勇気。今度は逃げない。