脚立

息子が一人暮らしを始めるために探してきたマンションは、マンションというのも憚られる小さな部屋だった。六畳一間にキッチンと風呂。かろうじてベランダはあるが、向かいのビルが目の前をふさぎ圧迫している。

むしろ私にはそれが好ましかった。

ここから彼の人生が始まる。分相応で背伸びをしていない。給料があがり余裕がでるにつれ、もっと広いもっと居心地の良いところへと移っていくのだろう。そして何年も経ち中年になった頃、きっとこの小さな部屋をなつかしく思い出すのだ。

昭和のニューミュージックの世界観を勝手に思い描き、いかにも一人暮らしはじめの一歩という部屋だと喜んだ。

夫はそもそも家を出ることを反対した。

家賃がもったいない。それを貯金すれば年間どれだけ貯まるか。さらにそれを資産運用するほうがずっといい。

せっかく実家に住んでいるのに出ていく必要はない。

全面賛成の私が眠ったあと、夜な夜な息子に囁く。

そしてこの物件の下見に息子と二人、一緒に行ったその場でこう言ったそうだ。

「このベランダの横にある排水管は危ない。これをよじのぼって空き巣が入ったりするよね」

これに怯えた息子が私に言いつけに来た。

烈火の如く怒った。

「どうしてそうやってせっかく自立しようとしているのを邪魔するの。自分が寂しいから難癖つけてるだけでしょう」

歩いて3分もしない裏には警察署、消防署があり、目の前には24時間営業のスーパー、コンビニ、牛丼屋が並んでいる。おまけにこの賃貸マンションの一階には美容院と幼児教室が入って常にだれかしら人が出入りしている。これだけの環境をわざわざ空き巣が選ぶだろうか。

「だってぇ。あんまりにも急なんだもん。」

実際に彼が家をでてしまうとその近さからの安心感と応援したい親心で「いいとこ見つけたな。もうあそこでいい、簡単に引越しなんかしないほうがいいぞ」と言っている。

 

今朝。ラジオ体操に行こうと玄関をでるととんでもないものを発見した。

玄関の脇に大きな折りたたみの脚立がでんとと立てかけてある。それを登っていけば簡単に2階のベランダに侵入できるほどの丈の長さのものだ。夫が玄関の灯りの電球を交換するので型番を調べ、使ったものをそのままそこに置きっぱなしにしていたのだ。

パチリ。

携帯で写真を撮り、出かけた。

帰ってくると夫が家の中から手をふっている。

それもパチリ。

ただいま。

おかえり。今僕の写真撮ってた?見せて見せて。

今度の家族会議の議題資料。

2枚の写真を見せた。

あれだけ空き巣がどうのこうのと言っていた人がコレ。いかがなものか。息子とこれは深掘りせねば。

ヒーン。いかんな。いかんな。危ないな。

とにかく会議を早急に・・・。

ヒーン。