公園でラジオ体操のあと、前で体操して見せる、やや先輩の女性に呼び止められた。
「ヨガの時に流す音楽、どうやってこれにいれたらいいの?」
iPhoneをふりふり言う。
アップルミュージックからダウンロードして・・と言いかけたが、私に尋ねるというのはきっと、それがよくわからないからだと思い、ちょっといいですかと、機械を借りた。
人の携帯というだけで、どうしてわからなくなるのだろう。
母に教える時も同じ手順をすればいいだけなのに、とたん、勝手がちがってわからなくなる。
アプリの配列が違うからだろうか。
自分のパソコンや携帯やiPadだとできるのは、ほぼ、勘でいじくり、なんとなくできた気になっているからなのかもしれない。
台所も人の家のだときっとそうなのだと思う。いつもの調味料、いつもの包丁にフライパンがいつもの場所にあって、なんとなく冷蔵庫の中身もこんなのが残っているとわかっていて、さあなに作ろうとなる。実家の冷蔵庫に生協のものを入れにいくと、知らない佃煮やドレッシングがある。冷凍庫の中もきっとまったく違うのだろう。たぶん、母が風邪か何かで私がここでなにか作るとしたら、やはり混乱してしまうのかもしれない。
「どうしたの」
二人のやりとりを覗きに別の女性がやってきた。
「アプリ、ないの?あるじゃない、ちょっと貸して」
さっと手に取り、操作したがなぜか接続できない。
「電波はたっているから、接続できないってことはどこか家のパソコンか何かでログイン中なんじゃない?ご主人とか」
尋ねてきた当人はますます何をいっているのかわからない。
「じゃあ帰ってから旦那になんていえばいいの、パソコンのアプリ、閉じてよって言えばいい?」
「いやいやいやいや、それじゃあ咎めてるみたいになっちゃう」
「そうそう」
語気荒く詰め寄りそうな彼女を二人で制す。
「いっそのこと、どうでしょう、ここは単純に、ヨガのときに使う音楽、これに入れてと、これを差し出すって言うのは」
私が言う。
「そうよ、そうよ、それがいい。だから怒らせちゃダメよ」
わかった、そうする、くっそ。
旦那さんにお願いするのがくやしいと、彼女は苦笑い。
わかるぅと、二人は大笑い。