癒し

昨夜、隣駅に住む息子が

「あのさ、ダメならいいんだけどさ。スマホを観てたら駅乗り過ごしてしまったんで、今からそっちでご飯食べられるかね」

電話をしてきた。

夜9時。夫は飲み会、もう寝ようと歯を磨いているところだった。

スイッチ入る。

「いいよ。おいで」

ややいそいそと、やや張りきり、冷凍庫をあける。

いつやってきてもいいようにとあれこれ作り置きをストックしてある。鶏胸肉とピーマンの甘辛炒めをとりだし、レンジでチン。冷蔵庫から残り物のもやしのナムル、残り物のオムレツ、鶏とジャガイモのコンソメ煮をチン、チン、チン。

「ただいまー」

「おかえりー」

いらっしゃーいと言いそうになった。彼がただいまと言っているのだから素直に「おかえり」でいいんだ。

最後に冷凍ご飯をチン。ちょうどできあがった。

おいしいおいしい、急に来たのにすごいなぁと食べる。

ちょっと得意になる。母親っぽくて。自分が。

何度かここに書いたが小学生から中学生の一番、甘えたい年頃に私はそっけない母親だった。

常に体の調子が悪く最小のエネルギーで彼に接していた。

なにかのイベントに連れて行ったりしなかった。図書館ですらできなかった。

とにかく寝ていたい。できることなら一人になりたい。

運動会も、あとからお弁当を持っていく。児童の席からきょろきょろ後ろを向いている息子が私を見つけるとホッとし、笑う。

どっか連れてってと言えない雰囲気を感じ取っていたのだろう。一度も言われたことはない。

なんでも自分で決め心のなかにそっとしまい込む。そんな子供だった。

私は倒れ、家に救急車がやってきて生死を彷徨った。息子をますます不安にさせた。

ちょっと具合が悪そうなのを見ると、風邪かなと思うのではなく、死ぬのかと思うらしい。

具合はどうだ。楽しめ。無理をするな。親父に負けるな。

小さな両手を精一杯広げて庇おうとしてきた。高校も、大学も。ずっとそうだった。

「ごはん、いいかね」

夜、ふいにそう甘えようかと思いついてくれるようになったこと。それに喜んで対応できるようになったこと。

うれしいのだ。

自分の都合でさせなくてもいい我慢をさせたあの空間を塗り直すことはできないけれど、私の中のなにかが癒される。

「ごちそうさま。じゃ、帰るかな。ありがとね」

テレビを観ながら食べ、サクサクっと帰って行った。