誰も知らない鍵事件

 ない、ない、ない、鍵がないっ!

朝、ラジオ体操に行こうと玄関に立つ。ふといつも鍵をひっかけてあるフックを見るとあるはずの物がないのだ。

あっ。

一瞬にして思う。やってしまったか。

昨日、息子がコンタクトによる目のトラブルで、近所の眼医者に寄って出社することになった。眼のことだし、ここで処方してもらってコンタクトを作り、ずっと検診をしてもらってきた。安心できる先生がいいとのことだった。

朝一番で受診を済ませ、うちで朝食をとっていく。

片栗粉がない。大好きなポン菓子もなくなった。鶏胸肉と・・キャベツ、クレンジング・・。

息子から連絡が入る前、買い物リストをつくっていた。

今日は買い物に行く。そう決めていた。

今にして思えばそんなのどうでもいいのに、彼がやってくるまでに済ませてしまおうと家を出た。予想していたより病院は早く終わり、電話がかかってきた。

ごめんごめん、鍵持ってないのか。今急いで帰るよ。

大急ぎで戻り、食事をだし、送り出した。

並行して買ってきた生鮮食品を冷蔵庫にしまう。片栗粉を瓶に入れ直す。

・・・そこまでは覚えている・・。

夕方息子からまた電話が入った。

眼の痛みが激痛になり、真っ赤になってきたからもう一度、医者に行く。上司に話しに行くとその目にびっくりして、もういいから早く帰れと言われた。

じゃあ、夕飯、食べにくる?

そうだな。

急いで台所にたち、カレーを作る。

今日は鶏のササミのフライのつもりでたくさん揚げたがすでに母のところに半分あげた。これじゃあ足りない。冷凍の白身魚のフライも追加で揚げた。

眼の方は大丈夫だった。表面に擦り傷のようなものが出来ていたそうだ。

昼を食べていないと聞き、夫の分のフライも出す。

多かったら持っておかえり。

食べ切れず残った分をアルミホイルでくるみ、カレーも持ち帰り用にタッパーに入れる。

そこに夫が帰宅し、鍋少なく減ったカレーライスに作りおきのオムレツ、フライの後ろめたさから代わりにエリンギに豚肉を巻いてチンして並べた。

何も知らない夫はおいしいおいしいと喜んだ。

久しぶりに三人でサッカーを観て、前半が終わったところで息子は帰って行った。

ドタバタの1日だった。

疲れ果てて9時前に「じゃ、お先にー」」と寝たのだった。

 

ない、ない、ない。

買い物から帰宅して鍵を開けて家に入ったのだから、外ではない。家の中に絶対あるはずだ。

しかし全く記憶がないのだ。いつもひっかけるフック。ここ以外考えられない。

フックの下の傘立てをどかし、タイル張りの床に這いつくばるが、ない。

落ち着け、落ち着け。

結局そのままラジオ体操に出かけた。

 

歩きながら考える。

神様、これはどういうサインですか。平凡な毎日がありがたいだろうってことでしょうか。それは日々、感じています。もっと落ち着いて行動しろということでしょうか。もしかして、夫のササミのフライを息子に出したことを反省しなさいよということですか。

確かに彼に家の中で鍵をなくしたと言ってもきっと怒らない。

ちょっと困った顔をして、それから諦めた表情になって笑うだろう。いいよいいよ、誰でも失敗はするから、心配しなくていいです。

ちょっと鼻につくほどの上から目線で、それでもきっと許してくれる。

その夫をもっと丁寧に扱いなさいということか。。

今夜もう一度ササミのフライを作ったら鍵は出てきますか。そんなことなら作ります作ります。

神様に呼びかける。

 

大急ぎで帰宅した。

玄関のドアを開け、すぐのところにフックがあり、その下に傘立て。

ふと思い、ダメでもともとと傘を一本一本、持ち上げ、逆さまにして降ってみた。

やっぱり無いか・・・。

と、最後の黒い長傘を手に取る。

!!あるではないか!

折りたたんだ生地の先っちょが集まったところに、引っかかっていた。

昨日からずっとここにいましたよー、というふうに。ちょこんと乗っかっていた。

あったぁぁぁぁ。

 

トンさん、おはよー。

夫が起きてきた。

ササミのフライ・・。

僕さあ、今日さあ、会議で発表があってね、全員出社するんだよね。だから今日は飲んでくることになると思うんダァ。

そうか、今日は水曜日。

「いいよ、わかった。あんまり遅くならないでね」

今日の妻はいつになく、優しい。