変わったところと変わらないところと

海外ドラマを観ていた。

主人公のことを好きな男性が、共通の職場の友人に恋心を悟られる。しかし友人は彼の想いの先を別の同僚だと勘違いしてしまう。ドラマの典型的な展開でこの勘違いした友人は二人それぞれにそう言いふらし混乱させる。

めんどくさい。

軽い法廷ものの作品と思って視聴していたが、どうもラブコメになってきた。

これをめんどくさいことになったと、動画を一旦止める自分に少し驚いた。

独身の頃は追いかけてラブコメを観た。映画もドラマもハラハラドキドキするのは、誰と誰が結ばれて、主人公が幸せになるのか、あの嫌な感じの女の子を見返してやる時はくるのかだった。きっとこの展開も当時のわたしだったら面白いことになってきたぞと喰いついたろう。

同じ人間が30年もたった今、正義は勝つのかどうかが気になって、余計な恋心の演出は邪魔だと画面を消す。

あの頃。自分がどう見られているのか、どう思われているのか、幸せになるのか、そんなことばかりだった。

画面の中の俳優たちに感情移入し、自分もそんなふうに誰かに認めて求められる日がくることを求めていたのかもしれない。

 

夕飯の支度を終えまた、動画を再生する。

こんがらがって泣いたり怒ったり落ち込んだりしている彼らがそこにいる。

かわいいなあ。

向かい合っていることはその時期その時期で変わっていくけど、結局私たちはずっと右往左往しながら「これでいいのかしら」「これからどうなるの」とどっかで不安定なものをぶら下げて生きていくのかもしれない。

結婚したばかり頃、習い事で知り合った当時70代の女性が

「この歳になっても毎日、迷ってばかりよ」

と言うのを聞いて驚いた。ある時期から生きることに熟練してくるのだと思い込んでいた。

今、隣に住む母を見てもやはり、あれこれ悩んだり迷ったり怒ったり忙しい。

恋愛ドラマに興味がなくなっても私はやっぱり日々、これでいいのかと確かめている。

ただ、なにがあっても結局大丈夫。

それはわかってきた。