母は今日は池袋のウォーキング大会に出かけて行った。
昨夜9時過ぎに体操教室から帰ってきたというのに。そしてその同じ日の午前には健康診断で近所のクリニックに行き、帰りに両手にどっさり野菜を買って帰ってきたというのに。
すごい。さすが102歳まで生きた祖母の娘なだけある。
今の私にはとうてい無理なその活動量だが、そのDNAは確かに私の中にもあるのだ。
この症例で10年生きられるかどうか、半々です。もしそこをクリアしても何度も入退院を繰り返す人がほとんどなので。
なので・・・覚悟しておけよというニュアンスを退院する際、言われた。その身体がこうして日常生活を送れていることを奇跡だと、以前言われたことがある。それもきっとこの受け継がれた設計図のおかげなのかもしれない。
毎朝散歩から帰ったその勢いで夕飯の下拵えをする。
野菜が切ってあるだけでもなにかとっかかりがあると、気分的に夕方のハードルがぐっと下がるのだ。
今朝も鶏大根だけ、仕込んでおこうと鍋とまな板を取り出した。
するとすかさず夫が
「今日ね、飲み会が入る予感がするんだ。だからトンさん、ご飯作らないで。もしなかったら僕、カレー食べるから」
昨夜のカレーを朝ごはんに食べながら言った。
「鶏肉が傷んじゃうから」
それでも作ろうとすると
「やめなさい。今日はゆっくりしなさい。僕、カレーでいいから。カレー大好き、毎日でもいいくらい」
立ち上がってやってきて止めようとする。
毎週水曜日は早帰りの日といって、残業をしないことが社内でのルールになっている。
おそらく、その流れで「じゃあ飲みに行きますか」となると夫は見込んでいるのだ。
そしてそうなったらいいなあ、そうしよっとと、毎週、密かに思っているのを私は知っている。
「今日、どうします?って言わんでよろし」
「え?」
「あなたが先頭にたって、で、今日、行きます?どうします?って皆様を誘わんでよろし」
にたぁと笑う。
「まあまあ。そこは。そこはね」
夕方になって夕飯いらないと連絡をいれたら、妻がもう夕飯の用意をした後で、不貞腐れるという状況を回避するため、今、必死になって作らなくていいと言っているのだ。
玄関でもう一度念をおされた。
「じゃ、今日、夕飯いらないんで」
「あれ、さっきまで予感だったのに。飲む気満々」
「まあまあ、そこは。まあまあ。じゃ、行ってきます」
ほっぺを光らせ出て行った。