痛い日の過ごし方

朝、そうっと起き上がる。腹筋を使ってまっすぐ体を起こすのが一番痛みを感じないとわかった。完治までの間、私の腹筋は鍛えられるであろう。背中というのは本当に体の中心を通っている。前屈みができないから、体を真っ直ぐにしている。食事をするときも上半身は美しく姿勢がいい。タルンタルンした腹回りが少しはきゅっとするかもしれない。

本を読むのも背中を丸めるのだ。外出もできないし買ってきた本を読もうと広げたが、首を傾けると痛い。

同じ理由でドラマも観られない。

掃除機もかけられない。

意外と前傾姿勢の動作が多いのだと気がついた。この程度でこんなに全てのことにテンションが下がるのだ。侍ジャパンで指を骨折しながら戦い続けた源田選手がいかに凄かったのか。

あまりにやることがなくてラジオを聴いて目を瞑る。

どこかで聞いた4秒息を吸って4秒止めて、8秒かけてフーッと息を吐くというのをやってみる。心が整うのだそうだ。

パニックになったり、緊張したときなどにいいというので本当かどうかやってみた。

そんな気もする。よくわからない。しかし呼吸に意識がいくのでその数秒は他のことに意識がいかない。

瞑想と似た作用があるのかなあ、などとしばらくやってみた。

平和だ。

内臓関連で病んでいるのと違って待っていればいい。

なんの不安もなく、余計なことは考えず、何をしようと考えることもなくただじっと時間と共に1日を過ごした。

母が来た。

体操教室のお友達が家庭菜園でとれたきゅうりとトマトをくれたその翌日、朝、倒れているのが見つかり亡くなったそうだ。

早朝から畑に出ていた。熱中症だろうか。あっけなさすぎる。

いつも死は誰にでも隣り合わせなのだ。年齢は関係ないのだ。

「たくさんもらったあのきゅうり、食べたくないわ」

母もショックなのかもしれない。お姉さんにピクルスにしてもらうといいと答えると「そうね」と言った。

お通夜に3000円にするか5000円にするか体操教室の仲間の間で意見が分かれてヤンなっちゃうと、ケロッと話す。

発見した娘さんの動揺した心を想う。この暑さの中、事務的な仕事に追われ、悲しむ感覚は後から来るのかもしれない。

当たり前のように朝が来て、当たり前のことが当たり前にできること。

ありがたいことなんだなあ。

母方の祖母とお風呂に入るとよく、湯船で「南無阿弥陀仏、なむあみだぶ」と言っていた。

ようやくあの意味がわかるようになった。

母が私の背中の負傷を知って、成城石井のハンバーグとスイカを買ってきてくれた。

素直に嬉しかった。

イカをすぐ食べる。

こだわりなく喜べる自分がもっと嬉しかった。