聖なる夜 その3

わ、わかった!

恐ろしい妻の剣幕に引っ込んだ夫はすぐ先生を呼んでくれた。

しかし夫の姿はない。

「どうしましたぁ」

若い男の先生がのんびりとした足取りでやってきた。

「なんか・・もう・・・産まれそうで・・す・・」

「えーっと、ああ、初産ですよねぇ・・そう思ってからが長いんですよお」

先生は「初めての出産あるあるですよ」と可笑しそうに言いながら「じゃ、ちょっと、診てみましょうねぇ」とタオルケットをめくり「うわっ、うわっ、出てきてる、これ、もう産まれますよっ」とバッとこちらを見た。

だからさっきからそう言ってんじゃーんっ!

 

車椅子を持ってくるのも待ちきれず、ベッドから降りようとする妊婦を「うわっうわっ。すげえな」と先生は慌てて抱え、出産室まで連れて行ってくれた。

ベッドによじ登り、先生の方の準備が整うのを待つ。

もう一人、若い男の先生が来た。二人が「ちょ、ちょっと待ってねー、すぐ、すぐだからねー」と言うのをハアハアしながら待つ。

それを待ちながらこっそり、お腹の息子に向かって声をかけた。

「いよいよ会えるよ。途中、暗くて細くて息が苦しくなるところを通るけど、怖くないからね。大丈夫だから戻らないんだよ、そのまま一気に進んでね、大丈夫だからね、頑張ろう、短時間でいこう」

 

「できた、いいよっ、準備できたっ」

「いいですかっ?産んじゃっていいですか?いきますよっ」

それから、何度か、何度ふんばったろう、すぐ、大きな産声が聞こえた。

6時36分。

分娩台の上にいたのは、産むための時間より産後処置の方が長かったくらい、あっという間のことだった。

ところがである。

まずは私の腕の中に、それからお父さんのところにと赤ん坊を連れて行ったが、夫がいない。

てっきり息をつめて廊下にいるものと思っていたら、いないという。

「おばあちゃんが抱っこしたから、乳幼児室に連れてくね」

なんと夫はこの時、病院の向かいの蕎麦屋で天麩羅そばを食べていたのだった。

「だってお母さんが、長い時間がかかるから今のうちにしっかり食べときなさいって」

母も私が産まれると騒ごうが、まだまだと思い込み婿に食事に行くよう促したらしい。

 

「でもさぁ、本人が今、これから産みますって目の前で言ってんのに、そっち信じないでお母さんの方信じたんだ!」

「だってそう言われたからぁ」

「天麩羅かよ。俺たちが頑張っているときに。ありえねえな」

この話が大好きな私と息子は、ほぼ毎年、誕生日を祝う晩御飯のたび、夫をいじめる。

あの日から23年。今日は夫は出社のため食事に間に合わない。

「ごめんね、仕事で間に合わない」

先週の日曜日、ピザをとって早めのお祝いをした。

今夜はカレー。息子の好物の唐揚げを山盛りつけよう。

二人で「天麩羅男」の悪口をいいながら過ごすのだ。