書いてよかった ありがとう

昨日、自分の存在がかけがいのないものと、心の底から思えていない件を書きました。

子供の頃の些細なことを、今に至るまで根に持っていた自分に気付き、これをどう消化したらいいのか、その扱いを持て余し茫然としている、そんなことを書きました。

あ、そうなのねー、くらいに聞き流してくだされ。

そんな気持ちで記事にしたのですが、思いがけず寄り添ってくださるコメントをいただいて、それが翌日になってもジワジワと響いています。

しだいに気持ちの落としどころが見つかりそうです。

 

書いているときは、現在毎日顔を合わせている我儘な母を「可愛いお婆ちゃん」と思えるようになっている自分と、あの暗い部屋のベッドの中で泣きべそかき続けている『チビ私』とをどう、繋いでやればいいんだろうと混乱していました。

あそこで今でも泣いている私を見つけたのに、知らん顔して今の母と面白おかしく笑う生活をし続ける罪悪感。

だからといって今更掘り返したら、不器用な私は今のせっかく安定しつつあるところまできた生活までそっちに引っ張られ、下手すると鬱になりそうという恐怖。

 

先輩女性のブロガーさんが「いいこいいこしてあげるね」と書いてくださいました。

短い文字なのに、ホロホロっと気持ちが緩みました。

同じように小さい頃辛いことがあった方は、私はその頃の自分に「辛かったんだね」と語りかけてあげたそうです。

私も、3年生の拗ねて泣いている私に会いに行って「いいこいいこ」「寂しいのね」と、何度か抱きしめてあげてみました。

まだ、しぶとく泣いています。困った子です。

何度も何度も会いにいこうと思います。

 

これからどうするのか、そんなのはもう、考えません。

毎朝まっさらで目覚めて、まっさらの1日を彩るのに過去の記憶はなんの関係もないんだ。

毎日機嫌よく心地よく過ごす。それだけです。

 

あんなことで。馬鹿だねえ。

どわっはっは!

いつか、そうチビ私と今私とが一緒に仲良く笑い合うときが来るような気がします。