うちの夫

母が夫のことを馬鹿にしたような言い方をした。

これからランチに行く服装に、この黒いショートブーツはおかしいか見てくれと呼びにきた。隣の家の玄関まで見に行き、それで良い、おかしくない、可愛い、自信を持って出ていいと太鼓判を押す。

そこから流れで「この前ね、聞いた?二人でちょっと話したの」と始まった。

二人で会話をした時、自分が亡くなった後の相続手続きなど、娘二人の面倒見てやってくれと頼んだそうだ。

夫から「お母さんと思わず語り合ってしまった」とは聞いていた。

「だってもう隠したってしょうがないじゃない」

隠したってって。うちのことなんだから夫には話すなと口止めをしてきたのは母本人だ。母にしてみれば夫はやはり用心もする間柄なのだろうか。

「せっかくあれこれ資格持ってるんだから使ってやってちょうだい。」

夫婦間では、いざという時助けてねと言っていた。余計な心配しなくていいよという意味で、そう返事をした。

「でもあの人、視野が狭いわ。なんか重箱の隅ばっかり見て全体を見てないから。もっとこういうふうに見たらって思うわよ」

笑いながら、でも、ちょっと小馬鹿にしたような、そんな言い方だった。

「あの人はミクロに強いのよ」

「それじゃあ困るのよ」

それじゃあ困るという。

「大丈夫、ちゃんとするから。税理士さんに見てもらってミクロを彼に確認してもらって、きちんとやるわよ」

「それじゃあダメなのよ。もっとしっかりしてくれないと。あの人、もっと当てになると思ったのに」

カチン。

「大丈夫。全てうまくいくから。なんの心配もするな。靴は黒でいい。ショートブーツもおかしくない。その格好は可愛い。さっさと出かけて楽しんでおいで」

ほらほらとレインコートを渡すとニヤッと笑った。

ふふん、じゃあ、行ってくるわ。

 

家に帰って悶々とする。

夫のことを視野が狭くて当てにならない、困ったと言われて面白くない。

ふん、じゃあ頼むな。

プリプリしながらトイレを掃除する。便器を磨きながらおかしくなった。

これが姉のことだったら、こんなにムキになったか。

きっと愛情と信頼あった上での戯言と、笑って流したことだろう。

自分の夫のことをちょっとでもあれこれ言われ、オカンムリ。

ふふ。私も可愛いとこあるじゃねぇか。

 

 

贅沢

夫が昨夜、明日飲み会になったと、ちょっと罰が悪そうに言った。

「ありゃ」

そう答えると一層、申し訳なさそうにする。申し訳なさそうにしているけれど心の中はもう、嬉しくて嬉しくて。頬が上がり鼻の穴が膨らんでいるのでそうだとわかる。

ありゃ、と一応言って戸惑いを表現したこちらも内心、小躍りしている。

先週末は住宅メーカーの定期検診があったり選挙に行ったり、息子が急にやってきたりと人の出入りが多く、時間に追われた。

寝込むほどでもないけれど疲れていた。

夕飯を夫の帰宅を頭に入れて用意するのは苦痛ではないが、それをしなくていいとなるとやはり、ラッキーと思う。

「ごめんね」

「いいよ、大丈夫」

どちらも小さく浮かれているのを隠しつつ、平和に言葉を交わす。

今朝、散歩をしながら何か特別なことをしようと考える。

夜を気にしなくていいんだから夕方からの上映を観に行こうか。

久しぶりに神保町もいいなあ。

無印良品も行きたいし。

それとも早めに出てどこかで美味しいコーヒーと読書もいいなあ。

夫を送り出し、朝食をとる。

頭は焦って何しようどうしようとくるくる回るのに身体が動きたがらない。

食べ終わったまま寝転がっていたら眠っていた。

目が覚めると11時半。

せめてスーパーに自分用のお惣菜を買いに行こう。何もしなくていいように。今日はお皿だって洗いたくない。

そう主張する脳みそにやっぱり身体の方はぐずぐずしたがる。

午後1時。

もう今日は一日家にいよう。ありあわせのものを適当に食べてダラダラしよう。

よく考えたら丸ごと1日を自分のために好き勝手に使うことこそ最高の贅沢だ。

早めにお風呂に入って、お風呂で本読んだりラジオ聞いたりしよう。

たっぷり過ごそう。

 

笑ってたし

日曜日、隣街の無印良品まで行こうとバスを待っていたら携帯が鳴った。

息子だった。

「今ジムが終わったとこなんだけど、先週忙しくてちょっと疲れちゃって・・あのぅ、これから昼ごはん食べにいっていい?」

珍しい。

「いいよ。」

「夜もいい?」

「いいよ!」

利用だろうが甘えだろうが嬉しい。

体が弱くスタミナのない母親だったから、散々心配をかけた。気遣いと遠慮でどっぷり寄りかかってきたことがなかった。

疲れたから何か食べさせて。任せて任せて任せて。

バスに乗る前でよかった。そのまま引き返しスーパーで肉を買う。お煎餅、アイス。とにかく彼が好きなものを買おうとする自分に気が付き、落ち着け、ハイテンションになっている、普通でいいのだと、もう一人の私が囁く。

牛肉とピーマンとにんじんを甘辛く炒めたものと、昨夜の野菜だらけのスープを出した。

お煎餅とアイスクリームも食べてしばらくテレビを観ている。

そして

「なんだかこの家に来たら行きたくなってきた」

ここ数日スムーズでなかったお腹が動き出したとトイレに向かう。

出たと晴れやかな顔をして戻ってくると

「ちょっと寄り道して行きたい店があるから、夜はやっぱりいいよ。3時になったら帰る」

ああ、そう。ちょっとがっかり、ちょっとホッとする。

そこに連絡を受けた夫が大急ぎで帰ってきた。6時過ぎになると言っていたのを全部放り投げてきたのだ。

「あれ、夜ご飯食べて行かないの」

「おう、もう帰る」

「食べてけ」

「誰が作るんだよ、オメェは何もしないだろ」

お腹を満たし、お腹をスッキリさせ、笑顔でまた戻っていった。

「ありがとな」

もしかしたら顔を見せに寄っただけかも知れない。

もしかしたら配置換えした職場に疲れているのかも知れない。

やってきた時の顔と全身をサッと見た。大丈夫。ちゃんと生きてる。ちゃんと笑ってる。

夜までいなかったのは私への配慮だったのか、それとも単に寄り道をしたかったのか。

なんでもいいや。なんでもいい。

笑ってたし。