傷つくのを見るのが辛いが、避けては通れぬ道なのだ

就職第一日目から帰宅が遅かった息子、初日から弱音を吐く。

「仕事が終わらないよ。グループディスカッションしてても、みんな頭の回転が早くて、俺なんか、聞いててしばらくしてからやっと、あ、そういうことねってわかるんだ。」

パソコン入力も、やったことがないわけではないが、タイピングが遅いから、ただでさえもたつくのに、余計時間がかかるのだと言う。

「こんなんで俺、やってけるのかよ」

入社前には、緊張してきた、緊張してきたと連日聞かされた。

「それでいいのよ、なんの不安も感じないで楽しみって方がむしろ心配」

笑ってそう答えていたが、いざ就職してからのことは私の勘で迂闊なことは言えない。

第一、さっぱりわからない。

夫に助言を求めてくれればいいのに、男同士の意地なのか父親には正面切ってこぼさない。

「大丈夫よ、面接で実際の君を見て、欲しいっていってくれたんだもの。やれると思うから選んでくれたんでしょ」

そうとしか言いようがない。

せめてものハッタリでケロッとしてみせたが、内心私もぐらついた。

この人、今からこんなで大丈夫なんだろか。。

その晩息子は眠れず、私は近くにいてこれ以上聞かされたら参ってしまいそうだったので早く寝た。

 

しばらくこの状態は続くであろう。

夫は来週から二週間出張が決まっている。ああまたメンタル不安定の息子を私一人で受け止めるのか。

転科試験の時も単身赴任中だったので、合否が決まるまでの毎日、負のオーラとつぶやきを聞かされた。

あれが最後の試練と思っていたが、甘かった。

社会に出たからといって、即その日から凛々しく独り立ちなんてするわけではないのだった。

嫌だなぁ。

薄情にもそう思う。

いっそのこと黙っててくれたら何も知らずに見ていられるのに。

いや、なんでも心配事を口にしてしまうからこそ、この人はなんだかんだ言っても、しぶとく強いのだ。

そもそも私は自分のことでもないのになぜ、こんなにも動揺しているのだ。

なぜ、こんなにも不安なんだろう。

何を恐れているのだ、自分が傷つくわけでもないのに。

・・・ああそうか。

彼が、息子が同期のみんなより劣って取り残され、傷つきオドオドするのを見るのが怖いんだ。

仕事ができなくて叱られしょげるのを見るのが怖いんだ。

彼が楽しくなさそうに辛そうにするのを見ることになるのではと怯えているのか。

見るのが怖いのだ。私は。

彼を心配しているようで、実は自分が、その度に一緒になって辛くなることを恐れている。

息子に出世してトップで華々しく活躍をして欲しいわけではない。

楽しそうにしているのを見ていたいだけだ。

しかし。

社会に出て、何にも傷付かず、順風満帆になんてこと、難しい。

立ち向かうしかないのだ。

そしてどうなろうとも、私は息子の味方で応援していればいい。

一番の味方だと言い続けるしか、できることはないのだ。

 

4月3日の朝、そう腹が決まった。

しばらく奴は愚痴る。しょげる。泣き言も言う。ため息もつくだろう。

そして私は「なんとかなるって。大丈夫」と、これまで同様言えばいい。

本当に大丈夫かしらなんて一緒になって心配してやること、しなくていい。

ただ、応援して、笑っていれば。

「はぁ・・俺、もうダメだ、同期のみんなが優秀すぎてついてけない」

遅く起きてきた土曜、朝昼兼用のミートソースライスを食べながら、早速そう漏らす。

「まぁだ言ってる。大丈夫だよ、そのうち慣れるよ。その個性を面白がる人がそのうち現れるよ」

今日は心の底から言えた。

「そうかなぁ・・・俺は不安だ」

心なしか、息子も私の訳のわからない自信につられ、笑みが浮かんだ。

ラブレター

友達に手紙を書いた。

親友のつもりでいた彼女、一年前からなんとなく、距離を感じる。

コロナになる前は一緒に食事をしたりしていた。二、三ヶ月に一度のペースで会い、互いの生活、抱えてる心配事について語り合い、励まし合い、笑い、別れる。

変だなと感じたのは1年前の年賀状だった。元旦もとうにすぎたころ、宛名も本文も印刷だけのサラッとした葉書が届いた。

いつも一言二言、また会おうね程度の短い言葉が添えられているのに、今年は忙しかったのかな。

もともと筆まめではない彼女、めんどくさかったのかもしれない。

 

お中元の頃になると私はいつも友人4人にお菓子かお酒を贈る。

仕事があったり遠方でなかなか会えない彼女たちに感謝と、つながりを持っていたいという私の勝手な想いでそうしている。

それぞれラインで「届いたよ」「ありがとね〜」とリアクションをしてくるが、そのままあえてすぐお返しをよこさないのでこっちも気が楽だ。

一人は旅先で、もう一人は畑で収穫したものを、もう一人は思いついた時に、忘れた頃にひょっこり何かを届けてくれ、今度は私がほっこり和む。

今回手紙を書いた彼女だけは違った。すぐ、デパートから何か送られてきた。

ある時からお中元シーズンになると向こうから先に、必ず何かが届くようになっていった。

負担になっているのかな。

いや、何かのついでにそうだそうだと、エールの交換をしてくれているのだろう。

勝手にそう解釈し、私もそのまま続けていた。

 

そもそも私が急に友人たちにお中元をしだしたのは体調を崩して入院し、死にかけてからだった。

生きていること、友達でいてくれること、なんだか全てに感謝したかった。

まだ弱っている体ではしばらく会いに行くこともできない、でもせめて繋がっていたい。そんな感傷的な発想だった。

 

私が食事制限をしているからだろうか。

外出は無理だと承知しているからだろうか。

ラインだと会話がめんどくさいからだけかもしれない。

お互い長電話は苦手だからで他意はないのかもしれない。

 

ピタッと彼女から「どうしてる〜?」と言って来なくなった。

いつもたいてい「そろそろ会いたいね」と声をかけてくるのは彼女だったのに。

何か怒らせたかなぁ。

 

今年の年賀状も印刷の文字だけだった。

2年続くとさすがに気になる。

しかし「ねえ、元気にしてる?どうしたの?」と何故か声をかける勇気がない。

どこかで不安なのだ。

一緒にカフェのランチとかできないし。フットワーク軽く出ていけないし。

つまんなくて嫌になっちゃったのかな。

自分は切られたのではないだろうか、だんだんそんな気がしてくる。

 

ある日、彼女から小包が届いた。

息子の就職祝いだった。

ラインで、「息子くんのお祝い、送ったわ。そのうち届くと思うわ。」

よそよそしい言葉の知らせをもらっていた。

「今届いたよ。大喜びしてる。ありがとうね」

そう送った返事は「よかった。」とクマが笑っているスタンプだけだった。

う〜ん。

けれど深追いはしなかった。

 

そして先月。

また彼女からシフォンケーキが届いた。

「とんちゃん、お誕生日だよね。ケーキを送っておいたから、食べてね」

またまた事前に業務連絡みたいなラインをもらっていた。

「ケーキ受け取った。ありがとう!」

スタンプだけだった。

 

で、今日。

手紙を書いたのだ。彼女に。

サラッと近況報告だけにしようと思ったのに、書き始めたら止まらない。

年末に体調崩して未だ食事制限があること。

シフォンケーキがあっという間に1日でぺろりとなくなったこと。

息子がもらった名刺入れ、TAKEOKIKUCHIというロゴ、「これ持って俺、菊池さんだって勘違いされないかな」と大真面目に言ったこと。

ネットで調べて見ろと私に言われ、調べたら「高級ブランドじゃねえか!」と再度喜んだこと。

伝えたいことが次から次へと浮かぶものだから、脈略のないまま書き連ね、あっという間に便箋3枚になってしまった。

いかん。重たく感じ、負担になるやもしれん。

「っと、つい久しぶりなもので長々となってしもうた。この辺で。コロナが落ち着いたら、会ってお茶しておしゃべりしたいよ。では。またね」

封をし、空で覚えてしまっている彼女の住所を書いて切手を貼った。

 

彼女はこれをどう受け取るだろうか。

ふーん、と冷めた気分で読み流すかもしれない。

これってこんなに書いてきて、返事くれってこと?と面倒に思うかもしれない。

これまで、玉砕するのが怖くて静観していたけれど、もういいや。

繋がっていたいんだもの。細く長く。

ドキドキしながらポストに入れた。

 

二日後、封筒が舞い戻ってきた。

切手が2円足りませんと、シールが貼ってあった。

びっくりした。受取拒否かと思った。

今はやめておけというサインだろうか。弱気になる。

でも伝えたい。ありがとうを伝えたい。

繋がっていたい。

 

2021.4.1の朝は今日だけなので書いておこうと思った

息子が出社していった。

入社式だ。

朝食を済ませた後、散々伸ばしっぱなしにしていた髭を剃る。

髪に何かつけて、形を整える。

昨日は眉を整えていた。

小遣いで新しくあつらえた上等な眼鏡に付け替える。

ワイシャツに袖を通す。

「ネクタイ、どうやって結ぶんだっけ、遠隔で教えて」

卒業式までは「やってくれ」と覚えようともしなかったのが自分でやるという。

幼稚園児が年少さんから年中さんになった日に、今日から自分で靴下を履く!と決意するのと似てる。

「太い方を長めに持って・・それで下からくるっと回して・・」

背広を着ない人がほとんどの会社なので、これも今日だけだ。明日からはどんな格好をしていくのだろう。

いろいろ洋服やらコートやらネットでスタイリストの動画を見て買い揃えていた。

背広を羽織り、黒い鞄を下げ、名刺入れを持ち、黒い靴を履く。

 

 

「じゃ、行ってくるんで」

夫がどどどどどどっと、階段を降りてきた。気配を窺っていたに違いない。

「頑張ってな」

「うるさい、じゃあな」

にやっと小さく右手をあげる。

「おめでとうございます。行ってらっしゃいませ」

深々頭を下げ笑った。

一瞬戸惑い、また照れ笑いをし、じゃ、ともう一度言って出ていった。

なんだか、慣れない。

見送るだけだから、まだピンとこない。

とにかく、なんとか送り出した。

神様から預かった命。