友達に手紙を書いた。
親友のつもりでいた彼女、一年前からなんとなく、距離を感じる。
コロナになる前は一緒に食事をしたりしていた。二、三ヶ月に一度のペースで会い、互いの生活、抱えてる心配事について語り合い、励まし合い、笑い、別れる。
変だなと感じたのは1年前の年賀状だった。元旦もとうにすぎたころ、宛名も本文も印刷だけのサラッとした葉書が届いた。
いつも一言二言、また会おうね程度の短い言葉が添えられているのに、今年は忙しかったのかな。
もともと筆まめではない彼女、めんどくさかったのかもしれない。
お中元の頃になると私はいつも友人4人にお菓子かお酒を贈る。
仕事があったり遠方でなかなか会えない彼女たちに感謝と、つながりを持っていたいという私の勝手な想いでそうしている。
それぞれラインで「届いたよ」「ありがとね〜」とリアクションをしてくるが、そのままあえてすぐお返しをよこさないのでこっちも気が楽だ。
一人は旅先で、もう一人は畑で収穫したものを、もう一人は思いついた時に、忘れた頃にひょっこり何かを届けてくれ、今度は私がほっこり和む。
今回手紙を書いた彼女だけは違った。すぐ、デパートから何か送られてきた。
ある時からお中元シーズンになると向こうから先に、必ず何かが届くようになっていった。
負担になっているのかな。
いや、何かのついでにそうだそうだと、エールの交換をしてくれているのだろう。
勝手にそう解釈し、私もそのまま続けていた。
そもそも私が急に友人たちにお中元をしだしたのは体調を崩して入院し、死にかけてからだった。
生きていること、友達でいてくれること、なんだか全てに感謝したかった。
まだ弱っている体ではしばらく会いに行くこともできない、でもせめて繋がっていたい。そんな感傷的な発想だった。
私が食事制限をしているからだろうか。
外出は無理だと承知しているからだろうか。
ラインだと会話がめんどくさいからだけかもしれない。
お互い長電話は苦手だからで他意はないのかもしれない。
ピタッと彼女から「どうしてる〜?」と言って来なくなった。
いつもたいてい「そろそろ会いたいね」と声をかけてくるのは彼女だったのに。
何か怒らせたかなぁ。
今年の年賀状も印刷の文字だけだった。
2年続くとさすがに気になる。
しかし「ねえ、元気にしてる?どうしたの?」と何故か声をかける勇気がない。
どこかで不安なのだ。
一緒にカフェのランチとかできないし。フットワーク軽く出ていけないし。
つまんなくて嫌になっちゃったのかな。
自分は切られたのではないだろうか、だんだんそんな気がしてくる。
ある日、彼女から小包が届いた。
息子の就職祝いだった。
ラインで、「息子くんのお祝い、送ったわ。そのうち届くと思うわ。」
よそよそしい言葉の知らせをもらっていた。
「今届いたよ。大喜びしてる。ありがとうね」
そう送った返事は「よかった。」とクマが笑っているスタンプだけだった。
う〜ん。
けれど深追いはしなかった。
そして先月。
また彼女からシフォンケーキが届いた。
「とんちゃん、お誕生日だよね。ケーキを送っておいたから、食べてね」
またまた事前に業務連絡みたいなラインをもらっていた。
「ケーキ受け取った。ありがとう!」
スタンプだけだった。
で、今日。
手紙を書いたのだ。彼女に。
サラッと近況報告だけにしようと思ったのに、書き始めたら止まらない。
年末に体調崩して未だ食事制限があること。
シフォンケーキがあっという間に1日でぺろりとなくなったこと。
息子がもらった名刺入れ、TAKEOKIKUCHIというロゴ、「これ持って俺、菊池さんだって勘違いされないかな」と大真面目に言ったこと。
ネットで調べて見ろと私に言われ、調べたら「高級ブランドじゃねえか!」と再度喜んだこと。
伝えたいことが次から次へと浮かぶものだから、脈略のないまま書き連ね、あっという間に便箋3枚になってしまった。
いかん。重たく感じ、負担になるやもしれん。
「っと、つい久しぶりなもので長々となってしもうた。この辺で。コロナが落ち着いたら、会ってお茶しておしゃべりしたいよ。では。またね」
封をし、空で覚えてしまっている彼女の住所を書いて切手を貼った。
彼女はこれをどう受け取るだろうか。
ふーん、と冷めた気分で読み流すかもしれない。
これってこんなに書いてきて、返事くれってこと?と面倒に思うかもしれない。
これまで、玉砕するのが怖くて静観していたけれど、もういいや。
繋がっていたいんだもの。細く長く。
ドキドキしながらポストに入れた。
二日後、封筒が舞い戻ってきた。
切手が2円足りませんと、シールが貼ってあった。
びっくりした。受取拒否かと思った。
今はやめておけというサインだろうか。弱気になる。
でも伝えたい。ありがとうを伝えたい。
繋がっていたい。