神のお告げ

夫が買い物に行ってくれることになった。

私が思いつくままにいうのを、紙に書いていく。

もやし、レタス、絹ごし豆腐・・・。

「・・・どこのスーパーにいくの?」

近所には三軒あるが、欲しいアイスを売っているのはそのなかのひとつだけ。そこに行ってくれるよう頼む。

あそこは野菜も安い。

「おせんべいも買っていい?」

リストを書きあげ、スーパーのカードと三千円を持って出かけて行った。

「おそいなあ、どこまでいっちゃったのかしら」

すぐそこまでの買い物なのに、なかなか帰ってこない。調味料も頼んだがそんな難しいものは言わなかったはず。

ただいまぁと帰ってきた袋の中には頼んだ覚えのない、ポテトチップスもあったがあとは問題なくちゃんとある。

「実はさ、スーパー二つ行ったんだ」

注文していたレタスが、激安!とゴロゴロ箱に入れられて80円だったという。

そうそう、あそこ、日曜にたまにそういうことやるのよ。

やっぱりあっちに行ってと頼んで当たりだった。

「でもさ、レタスはさ、生で食べるものだからいいほうがいいと思って、ちゃんと160円のいいのにした」

なんだとっ。

安かろう悪かろうと思った夫は気を利かせてわざわざ足を伸ばせ『いいレタス』にしてくれたらしい。

・・・・。

80円でよかったのに。

なんでレタスかっていったら、今日はしんどいから買い置きしてある豚バラともやし、レタス、豆腐でしゃぶしゃぶにしようと思っていたのだ。

鍋だとレタス1玉くらいぺろっと食べちゃう。お安いのがむしろ、ありがたかった。

「ね、よかったでしょ」

冷凍庫に挽肉があったっけ。

今夜はハンバーグだな。せっかく生で食べるからいいのにしたと言うのに、いきなりそれを鍋に打ち込むのも忍びない。

ハンバーグに山盛りレタスサラダ。

これは、神様が生野菜から酵素を取入れるようにと仰っていらっしゃるに違いない。。。

 

みんなすごい

昨日の夜、「あなたに友達申請が来ています、承認しますか?」というメールがきた。

Facebookである。

一度、アカウントを作ったが、あまりにも場違いで、即、引っ込み退会した。

新参者の存在に気付いた知り合いたちから、友達申請がパパパパパっときたのが自分個人のページができてからものの数秒。

後から息子に聞いたところによれば、設定で自分の情報をどこまで公開するか、そこは後からいくらでも自由に調節できるらしかった。

誘われるがまま、かつての幼稚園、小学校、息子のサッカーチーム時代のママ友達とつながり近況をのぞきにいったが、それが私には辛かった。

ちょうど、体を壊し、引きこもっていたせいか、それぞれが綴る日常があまりに自分とかけ離れている。

起業した人、ゴスペルを習い始めた人、子育て支援をしている人、海外旅行を謳歌している人。

みんな、キラキラしてる・・。

で、あなたは?どんな感じ?

そう問われているような気がして、いじけ、すぐやめた。

それをどうして再開したのかというと、ジャズピアノ奏者の小曽根真さんが、今この時期、医療従事をなさっている方々や感染闘病している人々、そしてステイホームを頑張っているみんなに向け、ご自宅からライブを公開していると知ったからだった。

それを観たいがために、ログインに必要なアカウントをまた、作ったのである。

前回のことで懲りていたので、サブの別メールアドレスで気配を消して入会し、個人情報も全て未公開に設定した。

しかし、その初期設定をもたもたやっているわずか数分の間に「むむ、こいつは・・」と嗅ぎつけた人がいたようだった。

ガラガラガラガラっと大急ぎで下ろすシャッターをくぐり抜け、やってきてくれたのは、大学時代の友人だった。

夫との結婚をいち早く報告すると、「ちょっと会わせなさいよ」とその目で確認し「いいやつじゃない」と喜んでれた心の母。

一級建築士の資格も持つ才女なのに、何故か、鈍臭い私をかまってくれる。

こっちからは時々、お菓子を、向こうからはメヒカリやサンマの干物、トマト、産地のものを送りあうが、葉書とラインのやりとりだけで、もう何年も会っていない。

よく見つけたなあ。

おもいがけない出現に、嬉しくなりすぐに承認作業に入った。

彼女のページはシンプルで、登山に行きました、マラソンしてきましたと、卑屈な私を刺激しない。

彼女のために私もなにか投稿しようか。

どんなふうに書けばいいんだ。

よせばいいのに、参考までにと、知り合いかもと挙げられている数人から何人か選び閲覧した。

あぁっ!

ま、眩しいッ!

起業していた人は予約待ち多数抱えるパタンナーに、ゴスペルの人は単独ライブ満員御礼ありがとうと、子育て支援はなんと区議会議員に、華々しい成長をとげていた。

や、やばいっ、逃げろ。

瞬時退散。

ここは、やはり場違いのようだ。

誰も呑気にキンピラの味付けの研究なんぞしている奴はいない。

誰も私に「で、あなたの近況は?」などと聞いてはこない。

お伝えしたい事柄も特にない。

以前と事態はなにも変わっていない。

唯一違うのは

「みんなすごいなあ」

ドキドキしながら逃げてきたものの、だからといってなにか行動を起こすでもなく、そうかといっていじけるでもなく、ただびっくり仰天しているだけの私になっていたことなのであった。

修行中

朝昼晩のおかずのことばかり考えている。

作り置きを作ったものの家族の評判がよくなかったり、意外と展開がなかっり、まだまだ修行が足りない。

困り果てて、半ばヤケで作った、モヤシを豚肉で巻いてチンしただけのものが評判がよかったりすると、料理ってなんだろうと不思議になる。

あれこれ小さじ2分の1ずつ混ぜ合わせ、素材を順番に分けて弱火でじっくり仕上げたりしたものは、やはり複雑な味になる。

「どしたのこれ、お手製?」

「うん、美味しい?」

「うん、美味しい」

ああ、やっぱり面倒がらずに手をかけるといいお味になるんだ。

そうかと思うと張り切って、香辛料をきかせたカレーを出すと、男チームは無口に匙を口に運ぶ。

「・・・どう?今日のカレー」

「ルー変えた?」

「というか、スパイスから作った。真面目に」

「僕は不真面目な方がいいかなあ。いわゆるりんごと蜂蜜の入ってるやつ」

「俺も」

ハンバーグもそう。餃子もそう。

毎回大きく外しはしないが、「これこれこれこれ、これだよなあ」というところにまでいかない。肉とネギと油の愛称でそこそこのものには必ずなる。

しかし、同じ調味料を同じように入れているのに、微妙に味や、口に残る風味、肉汁、定まらない。

母さんのあれ食べたいと、そう言われる一品を得意になってレシピも何も見ずささっと作る。

そいういう自分を夢見て、不器用な私の三食作る自粛月間は続く。

作ったそばから、食べてくれる家族がいること。嬉しい。