外壁工事のことで意見を聞きたいと実家から呼び出しがあった。
正確には母が私を呼んだ。昼、夫が立会い業者とあらかたの筋は決めた。しかし決定するまえに一応、娘二人の意見も聞いておこうとのことだった。
正直、どうでもいい。
外壁の色といったって特注の奇抜なものにでもしない限り、カタログの中のもののどれを選んでも大外れはしまい。それに屋内の壁ならまだしも外のタイルの色なんて家に入れば気にならない。
しかし母はこだわる。
薄い白に砂のように黒い点々が混じったものにも、グラデーションが色々ある。
濃いめのグレーに見えるもの、ほぼオフホワイトに見えるもの。その中間。
どれでもいい。
しかしそれは禁句だ。
母にどっちの服がいいかと問われた時に言ってはならぬのと同様、ここでもそれは口にしてはならぬ。
真面目に考えてない。人ごとだと思って。本気で怒りだす。
そうじゃない。まじめに考えてどうでもいいのだ。真面目に考えてどれでもいいと思っているのだ。
好きにすればいい。
しかしその表現も突き放しているようになってしまう。
ねえどれがいい?
そう言いながら彼女のイメージはもう決まっているのだ。それがどれなのかを探りながら当たり障りない言葉を探す。
人の発言にはどれも否定しつつ、自分の意見を明らかにしない様子に姉の声が苛立ち始める。
仕事から帰って遅い夕飯をテレビを観ながらのんびりしたいのだ。
だから業者のおすすめでいいでしょっ。
そうだけどぉ。
母は姉にはおとなしい。
私も早く帰ってもう寝たい。
ついに私は新たな視点で発言した。
薄い色にして日焼けの劣化を気にしてるけど、そうなるには20年後くらいって言われたんでしょ。その頃はみんなもっと歳とっててそんなのどうでもよくなってるよ。お母さん、100超えてるもん。誰も100歳のお母さんに文句言ったりしないよ。今、お母さんが一番好きな色にするのがいいって。
そっ!
すかさず姉が深く頷く。
そうかしらぁ。そうねえ。
先日転んだ傷痕生々しく鼻の下を腫らしながらそれでも迷う母。
おやすみなさいと引き上げた。