なんとなく過ごしても大丈夫なのかもなあ

今日はあれやってこれやってと、なんとなくその日の過ごし方を朝、決める。

そうすることで1日に軸ができ、安心する。なんとなくぼんやり過ごすのが大好きなのに軸がないと、どこまでもぼんやりして終わってしまいそうで時間割をやんわり作る。

出かける予定がある日は、たとえそれがクリーニングを出すだけだったり歯医者に行くだけでもそれが軸となる。

ひとつでもやることが決まっていれば、それでいい。

今日はきんぴらを作る。

それだけでも朝食の後、さあ、やるかと立ち上がる理由がないと、私はずっと寝転び動画をみたり雑誌をめくったりしてなんとなく時間が過ぎていく。

それでいて頭の片隅で、やるべきこと済ませてからならもっとくつろげるのにと、そわそわしているのだ。

どうせダラダラするなら心置きなくまったりしたい。安心してくつろぐ、それだけのために、なにか無理矢理やることを作り出す。

それなら徹底してお風呂掃除でもすればいいのに。

ちょちょっとやって、働いた気分になれる程度のものがいいんだ。

それでちまちま台所に立って作り置きを拵え、やった気になるのだ。

昨日は、本当に疲れてどうしようもなく、朝から全てを投げ出して横になった。

朝から海外ドラマを立て続けに2話、観た。

なんとなく、立ち上がり、そうだと思いつきで夫と息子のベッドのシーツをはがし、洗濯機に放り込む。

また寝転ぶ。

もう1話。

ドラマを観るのも連続だと疲れる。

シーツを干すために階段をあがり寝室を横切りベランダに出た。

なんか、生活してるって感じ。

さっき動画でみたぬいぐるみの洗い方。あれ、やってみようかと、その昔息子の受験の時、息苦しくて自分自身を癒すために買ったウサギのぬいぐるみと、小学生の時の息子が買ってくれた子犬のものを持って下に降りた。

中性洗剤で手荒らいし、バスタオルに包んで脱水したものをまた、干しにベランダに向かう。

シーツをぬいぐるみが風に揺れた。

決めないでなんとなく、感じるまま思いつくまま過ごす方が豊かな1日になるのかもしれないなあ。

自分をコントロールしようとしなくても、もう大丈夫なのかもなあ。

そこから今度はベッドにねころび、海外ドラマの続きを観る。

風が吹いて足元を触っていった。

もう少し自分を信用してもいいのかも。