去年の11月、学生時代のアルバイト仲間とおよそ30年ぶりに会った。
体調と心を崩しずっと引きこもっていた私にとって内輪の集まりとはいえ、夜の青山の居酒屋に出掛けて誰かと食事と会話を楽しんでくるというのは、相当勇気がいった。
結果的に疲れはしたものの、怯えていたよりは懐かしく温かな時間はあっという間に過ぎた。ちゃんと楽しめている自分を見つけ、なによりそれが嬉しかった。
グループLINE作ろうよ。
メンバー4人の箱がその場で作られた。
それ以降、クリスマスや年の瀬などに一人が呟き、他のメンバーもそれに応える。
それは学校の先生が「今年もみんな、よくがんばりました。来年も頑張りましょう」と言えば、生徒が「ありがとうございます。先生のおかげです。来年もよろしくお願いします」と応えるような、嘘じゃないがどこか空々しくもあるやり取りで、そのグループにいるからには私もなにか返答しなくてはならないことがちょっと面倒だった。
なにしろ4人だから目が行き届く。あれ、トンさん、既読したはずなのにどうしたのとなる。
親しい友人とLINEで文通のようなことをしないのでその辺のマナーがわからないからとりあえずその場に合うであろう言葉を考え打ち返す。
一昨日、その中の一人が新国立美術館で自分の作品を展示するグループ展覧会がある、よかったら来てくださいと打ってきた。
家庭裁判所で働き、その合間にそんな本格的な趣味までこなす。すごいなあ。
テキパキ精力的な彼女に私の何かがグラグラ揺れる。
するとそこに今度は
僕は今札幌に出張で、このあと2箇所、道内を回って帰ります。最終日には伺えると思うのでお会いして会食でもしましょう。
3歳年下の男性の返信が入った。
すごい。出張から帰ってすぐ展覧会に出向いて食事。この社交性とフットワークの軽さ。なによりエネルギーと、その優しさ。
二人のどちらもすごい。
さっきからグラグラ揺れていたのは劣等感。ここ最近、姿を表さなかった私の劣等感が不安そうに揺れている。
背伸びしない。
二人はそれぞれ私の知らない道を通って知らない努力と傷も引き受けて今にたどり着いた。
私の通ってきた道とは全く景色の違う道。
今、うわべだけ彼らに合わせて見せてももともとの中身が違う。
私は私で今ここにいる。
あんまり人が入って行かない小道をクネクネ歩いてやっとここにきた。
いいじゃないか、それで。
台所をちまちま改造して悦にいってる自分が好きだ。
振り子のように揺れていた何かがゆっくりと止まった。
すごい人はたくさんいる。
みんな、みんな、すごい。
すごいなあとうっとりして、私はまた、小道を呑気に歩く。