一億二千万

息子が一年後輩の社員二人を誘って飲みに行った。

「新入社員が入ってくる前にさ。考えたら一度も食事してないと思って」

彼なりの秩序なのか。

その席で女性後輩が不安と不満と絶望感と怒りと混じった感情を一気に話し続けた。

もう私、一人で夜、泣いていました。

内容は聞かなかったが、彼女は話し出したら止まらず自分でもびっくりしていたそうだ。

それを息子ともう一人の後輩が聞く。ひたすら、聞く。

コロナもあって、誰かと会社帰りに愚痴を言い合う機会もなかったのか。それともそんな余裕もないほど心も体も疲れ果ててひとりになりたかったのか。

なんとなくわかる気がする。私も気持ちの中に何かがこんがらがってきても外に発散するのが下手だ。体調の悪い時も人と関わるよりはじっと布団をかぶって横になる。それは人を避けているというより、自分の好むやり方で癒してくれないくらいなら一人でやり過ごす方がいいからだ。

理解されたい。同調してもらいたい。優しくしてほしい。責めないでほしい。いい距離感で見守ってほしい。

それと違う反応が返ってくると酷く落ち込む。自信をなくす。自分で自分を責めてさらに落とす。そのくせ誰かが引っ張り上げてくれるのをどこかで待っている。お前はそれでいいんだよと言ってくれる誰かを、本を探す。

彼女がそんな夜を過ごしたのかは知らない。

ワーっと泣いてスッキリして、しっかり食べて寝て、たくましく1日1日、頑張ってきたのかもしれない。

「だからさ、言ったんだよ。日本には一億二千万近くの人がいるって。その中のほんの一部の人たちとの出来事だって思えば希望もあるし納得も諦めもつくって。深刻になることじゃないって。少なくとも俺はそうやって割り切ったら楽になったからそう言った」

笑っている。

いい考え方だな。私も似たようなことを時々思う。自分のいる場所からずっと視点をあげてあげてあげていく。住んでいる家が小さくなり、街が小さくなり、日本列島が見え、地球が見えて宇宙に浮かぶ。そこから遠く遠く遠くの自分を眺めるとなんと小さく、愛おしい生き物がいることか。ちっぽけな生き物がその頭の中で何かを考え必死で生きている。

それで問題解決にはならないけれどちょっと気が楽になる。

そんなこともあるかと思えてくる。

「彼女なんて言ってた?」

「その発想はなかったって。いいこと聞いたって喜んでた」

それからもう一度「一億二千万、これは大事」と言った。

入社一年目。息子も転職するんだと高いお金を出して講習を受けに行ったりしていた。

二年目も気の合わない先輩と闘いよく荒れていた。

今もこれからも立ち向かってくる何かと闘い、交わし、成し遂げた達成感に満たされ、喜び、多くの感情の入り混じった中を生きていく。

夫もこの荒波の中を30年近く生き抜いてきた。

後輩の彼女も彼もみんな。たぶん世界中のみんな。

みんな生きている。

みんな愛おしい。