お転婆DNA

先週、豪雨の中落語を見に行った母は翌日、吹き矢と体操教室を午前午後でこなし、そのまた翌日早朝、二泊三日で桜を見るツアーで奈良に旅立った。

その間、姉は帯状疱疹の予防接種を受けた副作用で熱を出し、会社を休んだ。

私はといえば寝込みこそしなかったが気圧の乱高下に振り回され眩暈、立ちくらみ、頭痛で使い物にならない日々だった。

母が帰宅したのは昨夜9時過ぎ。

実家の玄関が開く音と何やら大きな声が聞こえてくる。すでに私はもう布団の中。

二週間も先の夜の外出に今から緊張している身としてはその行動力を尊敬する。それだけの体力があるということだ。

彼女の母、つまり102歳で亡くなった祖母も、亡くなるその瞬間までしっかりしていた。

伯父がベッドに駆け寄り、息が荒くなりいよいよという祖母に向かって「お袋、ありがとうなっ」と叫ぶと目をパッと見開き片手でOKマークを作って見せ、息を引き取った。

死に際までメソメソしない。気の強さと体の丈夫さはDNAで受け継がれた。

今朝、母がお土産を持ってきた。ちりめん山椒と筍の煮物、葛切り。

「疲れたでしょう、続いてたから」

「もうぐったりよ。」

「今日はゆっくりするといいよ」

「それがね、そうも言ってられなくなっちゃったのよ」

体操教室の仲間にお花見を誘われたという。お弁当を買っていく係だから行かなくちゃならないらしい。

「今日まで旅行だと思って行ってくるわ」

素晴らしい。

私だったら、弁当だけ届けて顔を見せたらさっさと帰ろうかと考えるかもしれない。

「悪いけど鍵持って行かないから、家にいてね」

可笑しくなってくる。

「ご安心ください。一日家におります。普通、こういうのって、娘が親に言うことじゃないの?」

ぺろっと舌を出し、じゃ、行ってくる、この格好でおかしくない?と着ている服装の確認する。

大丈夫。可愛いよと答えるとニッと笑い、大変だわよまったくもうと、さも気が乗らないかのように飛び出して行った。

あのDNAは私の中にもあるはずだ。きっと60歳になったらスイッチが入る仕組みになっているのだ。