we are the world の制作ドキュメンタリーを観た。
観ながら高校時代を思い出す。
英語部の文化祭にやる劇の最後に、スタッフも役者もみんな揃って舞台に上がって歌おうということになり、部長が黒板に歌詞を書いて一文一文和訳しながら教えてくれた。
今よりさらに世間に疎かった私は、彼らがどんなにすごいスーパースターで、過密スケジュールの調整をし集まり、一斉に録音したということが、どれだけドラマチックなことなのかもわかっていなかった。
ただ、アメリカでこういう曲が発売された、アフリカの貧困を救うためのチャリティーだということ、そこにマイケルジャクソンとシンディーローパーと、ライオネルリッチーやスティービーワンダーが加わってるらしいくらいのことをテレビで知り「ふーん」と眺めていた。
54歳になって改めて振り返る。見えなかったものが見えてくる。
才能とエゴの強いものたちがマネージャーのいない録音スタジオでは個々の音楽を愛する者達になっていく。
わがままな人、頑固な人、厳しい人、陽気で熱くならないひと。
この人たちをまとめようと気配りをするライオネルリッチーがどんなに愛に溢れた人なのかも。
このドキュメンタリーは今、当時を振り返る形で現在の彼らのインタビューも交えて作られている。
私はこの作品の軸になっている当時のメイキングビデオを高校授業で観ていたので「ああ、あれね、観たことある」と思っていた。
何にもやる気が起きない午前、暇つぶしにと再生した。
見覚えのある映像、聞いたことのある彼らの会話、声、歌。
見えなかったものが見えて感じなかったことを感じる。
そこから高校時代の自分がつながって現れた。
なんで英語部。そうだ、演劇部に入ろうとしていたら、演劇部なんか入っちゃダメよと釘を刺されたんだった。
なぜと聞けば役者かぶれになる。才能もないのに劇団に入ったりするからいけませんと言う。
それで英語劇ならいいと言うから英語部に入ったんだった。
つまらなくはなかったが、思っていたほど面白くなかった。夢中になれなかった。
母の全盛期だった。後ろ盾に父がいて権力を持ち、絶対だった。戦えば意固地で手のつけられない子だと言われ口を聞いてもらえなくなる。謝りに行くと、何をどう反省したのかと言わされ、そこから母の気が済むまで長い長いお説教が始まる。
次第にそれが面倒で、意固地と言われるのも嫌で、怒らせないよう、褒められるよう、気に入られるようになっていった。
母が私を褒めるときは父の前で褒める。すると父は嬉しそうに笑う。
ファザコンの私はもっと父に喜んで欲しくていい子になっていった。
そうだったそうだった。
見えていなかったものがもう一つ見えてくる。
少し前までは母を恨んだ。
母の好みに沿うように母の価値観の中で正確だという方に誘導された。そこからはみ出そうとすると脅された。
それら全てを今、この位置から遠く眺める。
みんな必死。みんな精一杯。みんな未熟でみんな不安。
あのとき、やりたいことがあったのに引っこめたのは私が私を守ってやらなかった。
不安でとりあえず母の言うことを聞いておこうと楽な道を選んだ。
母を恨む次に私はずっと、自分を責めていた。
どうしてもっと自分の中の自分を愛してやらなかったんだろう。人にばかり気を遣って心が叫んでいることをなんとも思わず封じ込めた。
みんな必死だったんだ。私も必死だった。
あのときはああするのが精一杯。母もきっとそう。みんなそう。父も。姉も。みんなそれぞれ精一杯だった。
それだけのこと。
なーんか自由なんだな。
いま、そう思う。
やっとそう思う。
私も誰も、彼も。
その中で愛を分かち合うことができたら。みんながそんなことを考えたら。
やればできると思うんだけどなあ。