立春

雨が上がった日曜の午後、夫と神社まで散歩に行く。

節分を終え立春。新しいスタート。

神様に改めてご挨拶。

出て歩き始めてみると、思っていた以上に冷える。

天気アプリで表示していた数字はいつもの朝のより高かったのでたかを括っていた。濡れた地面からの冷気と向かい風が顔を突き刺す。

それでも5℃はあるのだ。被災地ではもっと寒く凍えているだろう。プライバシーも希望も展望も食料、日常品、子供の教育、これからの資金、あらゆるものが不確かな精神状態でこれより辛い寒さ。

「そう思うとね」

夫に浮かんできた感情をつい、漏らすと

「ほんとだよな」

と言いながら、ハハハと笑った。

「なぁんでここで笑うかなぁっ」

声を荒げると

「違う、ちがう、なんでだろう、笑ったけどちがう、本当にそうだなって思ったんだよ」

慌てて誤解しなでくれと言葉を並べる。

最近おもう。この人は心の中を表現するのが特別下手な時がある。

昔は、本当に自分中心に何事も見ているのかも、寂しくなる時があった。

けれど、根底を流れている正義感と潔癖さ、深い愛情は、もしかしたら私の想像を超えるものなのかもしれないと感じるようになってきた。

わかったようなことを言っている私も、募金をするしかなにも行動していない。

どんなにもどかしく思って、どんなに心を痛めたところで彼らを救っていない。

祈り。祈ることしかできないというのは逃げているような気もする。

その後ろめたさと申し訳なさで、小さな額をあちこちにできる範囲で募金しているのかもしれない。

神社で私の、息子の、夫の、母と姉の、そして日本中の、世界みんなの安らぎを祈った。

帰り道、モスバーガーで私はコーヒーを、夫はハンバーガーとポテトを、暖をとる。

この、目の前にある確かなものに、感謝した。