補助なんだから

息子が家を出てまだ数日。家族三人、それぞれが新しい形態に戸惑っている。

息子は仕事が始まると帰宅してご飯を食べて風呂入って寝る、翌朝、ゴミを出す、それが精一杯のようで

「今日も仕事が遅くなって洗濯できんかった・・・」

と今朝起きたらラインに入っていた。

早朝5時、「大丈夫」と返信する。

何が大丈夫なのか、どう大丈夫なのか、根拠も自信もあって言い切るが、文面に細かく書くと長くなる。大丈夫、だけでいい。

夫は夫でどういうわけか、あれからやたら毎晩早く帰ってくる。

毎晩6時半過ぎ、これから帰りますとラインが入り、7時半過ぎには家にいる。そうなると普段、気楽に7時にはドラマを見ながら勝手気ままに食べていたのも、さすがに合わせて待つ。先に風呂に入って、出たころ、ちょうど夫の帰宅となり、一緒に食べる。

全く興味のないBSの癖の強い報道番組をあっちこっちチャカチャカ回しながら観るのにも慣れた。

しかし。早すぎやしないか。定年近くで仕事もそれほど多くなくなってきたのか。それにしても数週間前までは仕事が終わらず9時過ぎまで職場にいたあれはなんだったのだ。毎晩のように誘われていた飲み会は、あれは幻の飲み会だったのか。

虚偽の報告が疑われる。

そして私。

私は私でどう、力を抜いたらいいか、手探りでいる。

明らかに生活はシンプルになった。はずだ。

二人に気を配っていたのが夫だけになったのだ。しかも、この彼に対して私は、この世で一番神経を張り巡らさなくても安心していられる。けれどなんとなくそわそわしている。

息子が次来た時に持たせるようにと、作り置きの、冷凍できるものを研究して作った。

トマトとチキンの煮込み。さっぱり生姜焼き。

どちらもジップロックにいれ、冷凍し、食べる日の朝、冷蔵庫に移し、夜、温めればいい。

ただ作ればいいってものでもなく、本人が好きな味でなければ。

冷凍にむく素材でなければ。野菜も入っていなければ。ボリュームもなければ。あれこれ解凍せずとも、できればそれ一品でバランスが取れているものが好ましい。

なるべく手の混んでいない作り方で、なるべくお手頃な値段の素材で、なるべく・・・。

もともと勉強用に作られていない脳は、あれこれ考えつつレシピを書き出してみただけで、すでに疲れ果てた。

山に登る前から、頂上を見上げ、もうぐったり。

なまじ、先週、一週間分のおかずを持たせたものだから、それだけのものを持たせてやりたいなどと考えてしまっていた。

ラジオ体操の帰り、コンビニに寄った。小さく小分けされた惣菜が200円から300円代で結構ある。

豚の生姜焼き、プルコギ、カボチャの煮物、肉じゃが、ハンバーグにきんぴら。

はっとする。

そうだ、何も全部自分の手作りでなくていいんじゃない。

補助なんだから。こういうものを適当に組み合わせて買って食べればいい。

私が持たせるものは自分で何にもする余力のない時の、補助としての、なんだった。

できる範囲で持たせてみたり、そうでなかったり。何も毎週毎週、作ってやらねばならないものでもないのだった。

これから先は長い。私も、肩に力が入っていたのかもしれない。

自分ファーストでいこう。

まずは、いつでも呑気でいられるように。機嫌よくいられるように。笑っていられるように。

些細なことで腹を立てたりしないように。

自分に余力を取り戻そう。

自分以上になろうとしないことを心に誓う朝。