もう大丈夫

ひょんなはずみで、意気揚々と上を見上げていたのが一旦、俯くと地面に転がっている石ころや枝葉が気になって足の運びが重くなる。

突き抜けるような空をどこまでも高く高く続いていると希望に溢れていたのが、用心深く、転びやしないかと、まてよ、俺はとんでもない危険地帯に足を踏み入れたのかと顔はこわばり、口数も減り、怒りっぽくなりくよくよし始める。

それが今の息子だ。

母にきっと大変なことになると、呪いをかけられたその翌日、昨日はガス開通と電化製品の到着でまた新居に向かう。洗濯機の備品、高さ調節のためのアジャスターネジが付いてなく、取り付けに手こずり、結局後日もう一度となった。流しの上の戸棚の隅っこが若干、傾いているのをみつけた。

どちらも家電店と管理会社と連絡がつき、納得のいく対処を手配してもらったのだが本人の気持ちは萎む。

そうなると玄関の表札に前の借主が残したままのプレートも気になる。事務所だったようでしっかりと張り付けられて剥がせない。

内見の時にもそこには気がついていて

「どこかの会社も事務所だったみたいで台所も風呂場も綺麗でさ」

と喜んでいた。

この前は綺麗だったゴミ置き場に段ボールが散乱していた。あれもそれもこれも気になり出した。

ここの住人には、怪しい危険な人物がいるのかも。そういや玄関ドアに妙なシールを貼ってるところもあった。

不動産屋の選択をミスったか。

俺はとんでもない契約をしてしまったのかもしれない。

ズーン。

感情がダダ漏れで伝わってくる。

我母の不安が息子に伝わり、息子の不安が家の中、彼の行くとこ行くとこに振り撒かれる。

昨日の夕飯は不自然な明るさの会話が途切れ途切れに交わされた。

じわりじわりと忍び寄ってくる澱んだ空気。

私までどんよりしそうな夜だった。

今朝、ラジオ体操の帰り、足を伸ばして氏神様に会いに行った。

早朝の神社を神主さんが箒で掃き清めている。その清々しさに救われる。

手を合わせ、住所と名前を言い、どうぞ息子が新しいところで前を向いて悦びに満ちた生活をできますようお守りください。彼のエネルギーを明るい方に使えるようお導きください。とお願いする。ついでに夫も母も姉も私も、皆のこともこれからもお守りください。とまた、追加する。

25年前、ここで息子のお宮参りをした。神主さんが祝詞をあげてくださっているその後ろでぐずって泣く息子に授乳した。

神様。いよいよこの地を離れますが、すぐ近所です。どうかどうか引き続き彼をお守りください。

50円玉1個にしては盛りだくさんで長く長く祈った。

顔をあげ、正面を向く。神殿が見えた。

一礼してくるりと背を向けた。

「もう、大丈夫。」

口から出た。本当にそう思えた。

もう大丈夫。神様ありがとう。