息子が新居のガス開通のため、午前中、出ていった。
昨日は、会社帰りに不動産屋で鍵を受け取る。普段より早く、6時過ぎに家にいた。
母がやってくる。
「ちょっと見て、自慢。これ」
グレーのコーデュロイのかわいらしいワンピース。今日の戦利品のようだ。今日は吹き矢サークルの日だから帰りにどこかの店を覗いてきたのか。
「違う、日本橋、お姉さんが休みだからデパート行ってきて、セールやってて、どう、これ」
・・・確か、ぎっくり腰になったとかいう口実を・・・やめさせてよかった。
きっとこのあと、いつものようにその友達に電話して、このワンピースとデパートのバーゲン話をする。ぎっくり腰だったんじゃなかったのとなるところだった。
息子がそこに降りてきた。
「あら、どうしたの?」
「鍵を受け取ってきた」
「あら、いよいよねっ。たいへんよぉ、これから、大丈夫なの。ご飯も洗濯も、ひとりっきりになって。できるのかね、キミは。母さんになんでもやってもらってきたんだから大変なことになるわよ。これまで大勢に囲まれてたんだから、急にひとりになって」
一気に言われ、息子の眉間に皺がよる。
「ご飯なんかできないわよ、どうするの、大変なことになったってきっと思うから」
呪いの言葉はとまらない。気の毒になって口を挟んだ。
「大丈夫だよ。これまでいかにも手の込んだように見えてた数々の料理のネタバラシをしてあげる。レンジでなんでも簡単に作れるよ。」
いざとなったらもやしの上に肉を広げてチンすればいい。その下にうどんを入れればいい。パスタだってレンジで作れる。目の前のスーパーにはカット済みの野菜も惣菜も、なんだってあるのだ。死ぬことはない。
「あら、お母さんは、一生懸命強がってるけど、きっと孫ちゃんが出ていったら寂しくなってしょぼんとするわよ。あ、おばあちゃん、これだけはお願いしようと思ってたの、一人暮らしをはじめても、ときどきはお母さんの様子を見に返ってきてあげてね」
やめくれ。
「いいんんだよ、そんなの。実家に顔出してねぇなあって思いつつ、毎日が楽しくて、面倒になって足が遠のくってのが普通なんだから。そんなふうに重荷に思わなくていい。帰りたくなった時だけ、くればいいよ」
「あら、でも、おばあちゃん、お母さんが一人になるのかと思うと涙がでちゃう」
やめてくれぇ。
返ってきた時はおばあちゃんのところにも必ず寄ってねと念を押し、ハイテンションの母は返っていった。
そのあと、二人で夕食。黙りこくる息子。
「おれ、大丈夫かなあ」
「大丈夫だよ」
「やってけるのかなあ」
「そんな深刻になることない。ただ、あそこで生活すればいいんだよ。生きてりゃいいの」
「そうか」
「そだよ」
「かあさん、さみしくなるのか」
「どうだろね。今は息子が独り立ちしようって思って行動したことが嬉しいよ。大丈夫」
そのあとも、洗濯は、ゴミ出しはと黙り込んでは宙を見つめ、つぶやき、また黙る。
「だいじょうぶだよ。今はドキドキして不安だけど、始まったら楽しくてたまんないって。来年の今頃は、年末、ここに顔出して自分の家に戻って、やれやれってホッとしてるよ、間違いなく」
「そうか」
「そうだよ」
バアバに引っ掻き回され、飛び立つ前の武者震い。