昼ごはんを食べていると母がノックをして入ってきた。
「仲良し三人組でまた例の恒例旅行にいくことになったのよぉ」
この、なったのよぉ。。は、乗り気でないとき。
高校からの友達でいつもランチして日が暮れるまでおしゃべりして、それでも足りず、翌朝からまたその続きを話すほどの仲なのに。そういえば最近、その電話も数が減った。
「あの人、色ボケしてんのよ。なんだか近所のお爺さんとデートしたとか、無視されたとか、こっちに気があるとか。そんな話ばっか。」
元気溌剌健全な少女がそのまま大人になり、そのまま老女となったような母には、友人の春めき浮かれている様は、理解できない。
色ボケ、どうかしている、となってしまう。
私はいいと思う。これから先、何かの弾みで自分にもそんな恋心のようなものが来るのなら大歓迎だ。楽しいじゃないか。浮かれる後期高齢者なんて。
しかし母の、ここが理解できないところなのだが、電話で始終その話をする友人に理解のある相槌をうつ。
「あらいいわね」
「あら、またお洋服買わなくちゃね」
もう、勘弁してよなどと、あけすけには言わない。
辛抱強く、何時間も相手をするものだから、向こうだって、楽しんで聞いてくれているものだと信じる。
だから、また、続きを話す。
どちらも乙女なのだなあ。
その二人での旅行なら、勝手にすればいい。一晩中恋愛話を聞かされるのが苦痛だといったところで、嫌ならそれなりにすればいい。
ところがそこにもう一人。この彼女が少しだけ認知症がはじまった。
普段はしっかりしているが、ときどき、ランプが点滅する。その頻度がこのところ急に増えた。
「私、あの人の責任持てないわよ」
でもその人にとって最後の旅行になるかもと思うと断れない。認知症の彼女も自分で自覚しているので、本人もそう思っているはずだからかわいそうだし。
片方はそんなことお構いなしで自分の恋愛話を聞いてねと張り切っている。
片方は、何度も同じことを聞き、ときどき迷子になる。
「お母さんが腹を括ってその認知症のお友達をフォローできるならいいよ。タクシーに乗って移動したり、早く寝かせてあげたり、迷子にならないように一緒にいてあげたり。でもそれが苦痛で苛立ってしまうくらいならやめた方がいいよ。」
「でも今更断れないもん」
「まだ今ならキャンセル料かからないでしょ」
「何ていうのよ!」
「・・・気が乗らない」
「そんなのダメよ、あ、そうだ、ぎっくり腰になったことにしようか。」
「そういうのは、すぐバレるし、その嘘をついてるがためにその後の会話にいつも頭使うんだよ、ぎっくり腰になったのに、体操教室に行ったとか、吹き矢に行くとか。いいそうだもん」
「・・じゃあ、あの人も認知症で疲れるだろうしって、言うか」
「人のせいにしない。第一、それを聞いた本人が私は大丈夫だからって言ったらそれこそもうやめられないよ。それにそういうの、自分がお荷物なんだって傷つくこともあるよ」
だってぇ。
ふくれる。
「私が、気が乗らなくなっちゃったというしかない。もしそれでゴネて責められてもひたすらごめんねぇって謝る。ごめんねぇ、でもどうしても気が乗らないのよっていうしかない」
ふくれっつらのまま「やってみる」と返っていった。
夜、またやってきた。
「解決した。やっぱりやめない?なんだか気分が乗らなくてっていったら、すぐそうねえってなったわ。お騒がせしました」
少女。少女のようだ。
声のトーンも表情も、ぱあっと晴れて、それはそれは可愛らしく、チャーミングなのだった。