最後の授業

健診日だった。今の担当医ともあと一回。

8月にこの病院での検診も年内までと言われ、途方にくれた。総合内科での診察なのにいつも時間をかけて私の日々の状態を聞いてくれる先生だった。

厄介な袋を腰にぶら下げていると思うといい。なんかぶらぶら面倒なのがくっついてるわネって程度に自分の症状と付き合っていけばいいんです。

私の袋は内蔵にも、脳にも、神経にも、血液にも、ぶらんぶらん腰蓑のようにくっついている。

それぞれは今すぐ、命に関わるほどのことでもない。

でも生活していく上で気をつけないとならない。

くるっと右を向けばダンっと袋が当たる。慌てて左を向けば今度は反対の袋がドンっとぶつかる。

ああもうっ。とヤケになって暴れると、袋に穴が空き、中から砂がこぼれ落ちてくる。

ほんと厄介。

でも先生にこの袋理論の解釈を教えてもらってから気が楽になった。

治そう、と思わない。ぶらぶらさせたまま、生きていく。

生きていて申し訳ないとも思わなくなった。

できる範囲でできることを楽しんで、役に立てそうなところで役に立てばいい。

だって、そうなんだもの。これが私なんだもの。

この前、ぼんやり考えていたら、自分が過去、出産を含めると5回、入院をしていることに気がついた。

そのうち、1回はICU、手術2回。

精神科に通うこと3年。

よく生きてきた。

そしてこれからも生きていく。

「母さんはブラックフライデーに何か買ったの」

「んにゃ」

「父さんばっかり金使って、母さんも何か好きなもの買え。服とか、パソコンとか、なんでもいいから楽しめ」

欲しいもの。

自分だけの部屋。

大きなデスク。

ごろ寝用のソファ。

どんなに歩いても疲れない靴。

鬱だった頃、欲しいものがなかった。生きる気力がない時、私は物欲も何もなかった。

化粧もしなかった。歯磨きも入浴も、いい加減だった。

ただ目覚め、食べて、家事をして、寝る。

会話を楽しむことも、ドラマを見ることも何も楽しいことがなく、ただただ時間が過ぎていくのを待ち、また眠った。

欲しいものがあるということ。

海外ドラマを見て一日ゴロゴロ過ごす寒い日曜日。

家族との会話、笑う声、食卓。

窓に立って見送る瞬間。

ああ生きてるなあ。

今、生きてる。

「先生とお話しできるのもあと一回なんですね。大丈夫と思っていたけれど、やっぱり残念です」

もう私を具体的に導いてくれる人はいなくなる。

「これからも、頑張って生きます」

笑っていうと先生も笑った。

「頑張らないで生きましょう」

人は生きているだけでいろいろあるから。頑張らなくていいんです。