空色のセーター

昨日、午後3時、急に思い立ってユニクロに行き、前から欲しいなあ、でもなあ、と思い悩んでいた空色のセーターとコートの中に着る、ライトダウンの黒いベストを買った。

急にだ。よし、行け!と指令がきた。自分から。

息子が毎朝「今日どこか行くの」と聞く。

「いかなーい」

毎度そう答える。本人としては別に我慢しているわけでもない。そもそも家に1日安心してこもっていられるように、ラジオ体操に通っているのだ。家事をやりながら、タラタラ家の中で過ごす午後は至福のときなのだ。

しかし青年にはそれは理解できない。説明するが、伝わらない。

いやいや、うちの母さんは父さんが一人で好き勝手に外に出て、自分はひっそり家にいるのだ。一人で遊びにいくことを遠慮しているのだ。

そう美しき誤解をしている。

そんなにストレスがたまっていたわけでもない。

服もないわけじゃない。まだ着られるセーターがある。

祖母の形見のカシミアのセーター、亡き父の着ていたカシミアのセーター、母のくれた上等なカーディガン。

いいものは長持ちする。そして時代を選ばない。

これらも仕方なく身につけているわけでもなく、気に入っている。袖を通すたび、故人を感じる。その一瞬も好きだ。第一、カシミアは腐ってもカシミア。あたたかい。彼らが頑張って生きている私を応援しているようなあたたかさ。

けれども困ったことに、新しい、ちょっと目についたいいなと思うものを買いづらい。

冬服は家にあるのだから。

そういったわけで店頭で見かけた空色も、あきらめていた。

それが。急に私の中の私が、行け、かまわん、買ってこいと言いいだした。

日曜の午後3時、突然に。

まるで切らした醤油を慌てて買いに行くように、財布を掴み袋に入れて家を出た。

目的のセーターも黒いベストも同じ位置にそのまま、まだあった。

それらを手に取り、迷わずレジに行く。そして店を出る。

滞在時間、10分もなかった。

ほくほくほくほく。

思いの外、心が弾む。

「見て、買っちゃった」

息子に見せた。

「おお、いいじゃん」

今朝、買ったばかりのセーターをちょっと迷ったが着た。

いつものようにもったいないからとしばらく置いておくこともせず、すぐに着た。

小学生のころ、新しい靴や服を買ってもらうと「明日来ていい?」とよく母に聞いた。

「いいですよ」と言われると朝が楽しみで楽しみで、早く目が覚めた。

「だめです、これはお正月におろすから」

そう言われると、お正月が待ち遠しかった。

今日、これ、着ていい?

私の中の司令官に聞く。

「いいですよ」

空色を着る。なんだろうこの気分。にまっと心が笑った。

みんなに優しくなれる気がする。