息子が出かけた。その間に彼のベッドから冷感シーツを引っぺがし洗濯機に放り込む。
基本、彼がいないときには入らないが、この急にきた寒さ。見ている方が凍りそうだ。10月に入ったころから、そろそろはずしたらどうだと言ってきたが、面倒くさがり「まだいい」と、洗うとまたベッドに乗せる。単にしまってあたらしいシーツをセットするのが億劫なのだ。
若さってすごい。体温がきっと違うのだ。
綿のシーツを代わりに置いておいた。
朝、散歩している時に、急に思った。
へんてこりん生物として生きちゃえばいいんだ。
あの人ちょっと変わってるね。とか、理解できないとか、そいういう外部の反応におびえることもなく、堂々とたのしく、へんてこりんとして貫くんだと自分で選んだとしたら。
ちくちくする言葉もちくちくしない。
そこはどうでもいいものになる。
ただ、ただ、自分がこの世界を楽しむことに夢中になればそんなことよりやりたいことに意識がいく。
海外に旅行に行くと、自意識が薄れる。旅の恥は書き捨てで、そこで失敗しても笑われても、せっかくきたんだからとあちこち歩き回ってその国を堪能しようとする。たとえ行動範囲が小さくホテルの中だけだったとしても、周囲の旅行者も現地の人もそんなに気にしないで自分がその日をそこでどう過ごしたいかだけを考える。
異国異文化の中、自分と比べようもない。
それをここで、この地球でやればいいんだ。
いつかどこかの宇宙に帰る旅だとしたら、この今このときこそ、もっと解放しないともったいない。ここに滞在している今を満喫しないと。
派手に行動しなくていい。でも、人の反応や比較なく、恐れず、やりたいことだけやりたいようにやればいい。だって私は宇宙人なんだもの。違うの当たり前。体の作りも発想も。
周囲や知り合いがどう思うなんて、一瞬のこと。それに傷つくことがもしあったとしても、怯むことはない。それにもめげず、あちこち出ていれば、その程度のことは傷にもならなくなるかもしれない。
あ、なんかぶつかった。くらいのものに。
この私の行くとこ行くとこどこまでもくっついてくる人はいない。
私と常に行動を共にするのは私の中の私だけ。
その私と仲良くなんでもやってみればいい。
二人で泣いて二人で喜んで二人で感動して、慰め合って。
そんな考えが急に降ってきた。
そう考えると、私ってものすごく自由なんじゃん。
表現することも。なんでも躊躇しないで感じるままに出せばいい。
なんだなんだなーんだ。
無限ってそういうことか。
興奮して気がついたら足がぐんぐん早く出ていた。
スキップしたい気分。