取扱説明書

帰宅した母が実家とつながるドアから顔をだした。

「これ、おみやげ。・・・ちょっときて」

机に置かれたのはミニ餃子。どこかの有名な店のものらしい。

この、「ちょっと来て」ほど恐ろしいものはない。なんだろう。なにかしでかしたっけ。文句か忠告か、ご意見か。

思い当たる節がない。あのイントネーションは服を買ってきて見せたい時の「ちょっときて」じゃない。友人の噂話を話したくてたまらないときのでもない。

とにかく不満を吐き出す時のやつだ。

行くともう着替え終わった彼女はお茶を淹れていた。茶碗はふたつ。

うわ。これは語るぞ。腰を据えて語る気だ。

「どうしたの」

「ちょっと大変だったのよぉ」

それから一気に話し始めた。

オカリナの発表会は今日だったのだ。数日前、この服でいいかと見せに来たあれだ。

あまりに地味だったのでもうすこし華やかでもいいのではと言うと「あまりオシャレを頑張ってきたと思われるのが嫌だからこれくらいでいい」と答えた。それでもじゃあこれにすると再度着替え、やや華やか、しかし派手でもない、ちょうど良いところに落ち着いた。

と、思っていた。

「それがね、体操教室の人たちもたくさん呼ばれててね、隣に座った人がすごい指輪してるなあと思ったら、いつもへんてこりんな格好してるあかぬけないただのおばあさんが、すごいおしゃれしてパリッとしてるの。もう別人って感じ。この辺の人はみんな決める時はすごいわ。わたしもう、やんなっちゃった」

それかい。気が抜ける。

「だってオシャレしてるって思われたくなくて抑えて行ったんでしょう。その人はお洒落したくて一生懸命飾ってきたんでしょ。お母さんだって、一張羅着ればそうなったよ。ただ着なかっただけでしょう」

「だって私、そんなに服持ってないもん。最近ほとんど買わないから」

いやいやいや。それは・・・どうかな。服は、私の3倍は持っている。確実に。

「その人のお洋服だって、昔からある上質のお洋服なのかもしれないじゃない。久しぶりに晴れやかな場所に行くと思ったからお洒落を楽しんだんだよ」

「でも私、やんなっちゃった。恥ずかしかったわ」

これっ!これこれこれ!子供の頃よく言われた。

運動会で授業参観で。

みんな立派に発表してるのにトンは手もあげられない。もうお母さん恥ずかしかった。

ちんたらちんたら鈍臭く走ってるのがいると思ったらトンなの。もうやんなっちゃった。

だいたいトンはなにやっても鈍臭い。お姉さんみたいに本も読まないし勉強もできないし。

どうして下の子はこうなのかしら、恥ずかしくてやんなっちゃう。役立たず。

ああ、子供の頃の私に会いに行って解説してやりたい。

おまえが悪いわけじゃないんだよ。価値がないわけでもない。別に恥ずかしい存在なんかじゃないよ。あの人は思ったことをフィルターを通さず口にする人なんだよ。なんでも周りと比べて体裁を気にするところがあるから、格好がつかないと決まり悪くて、面白くなくて腹を立ててるんだよ。でもそれだからって愛してないわけじゃないの。むしろすごく愛してて、あなたのことを自分の分身だと思ってるの。だから何を言ってもいいって思い込んでるんだよ。あれは、思うようにいかないから、どうしてなのって駄々をこねちゃってるんだよ。まあ本来、そいういうことは本人にはあまり言わないんだけどね。あの人は無邪気に言っちゃうんだよねえ。。困っちゃうよねえ。そう言われてもねぇ。

そう頭をぐりぐりやって、半べそでベッドに潜っているちっちゃな私をぎゅうってしてやりたいよ。ほんとに。

「たいして変わらないよ。その人だって今頃家に帰ってやれやれってカップヌードルとか食べてるよきっと」

パッと表情が変わる。

「そうかしらね。ありがと」

ひとくち餃子は愚痴聞き代だったのか。

この年齢になってやっと心の底から可愛いと思えるが、これを10歳になる前の次女に理解して受け止めさせるのは難易度が高すぎます、母上。

それを聞くのは夫、もしくは友人の役目なのですよ。