焦るな。おとなしく。

よく、年齢を重ねると筋肉痛は後から来るという。

翌日やその日の夕方に痛くなると「よかった」と少しほっとする。

二日三日たったころ、覚えもないのになんだか身体中がだるくなり、あちこちがギシギシ痛み出すことがある。

なんだっけ。昨日大掃除してないし。芝刈りもしてないし。

そこで思い出すのだ。あ、そういえば。

そうそう。そういや、三日前、張り切ってやたら歩いたんだった。

あれか・・・。

これが、後から来るやつなのねと、納得する。

抜歯もそうなのか、根拠も何もないが、二日経った今頃、なんともだるい。そして不思議なことに今頃、疼く。

痛み止めも当日と翌朝でもういらないとなるほどだった。きっと先生の技術がよかったのだ。採血もやってくれる人によって痛みも跡も全く違う。上手な人だと針を刺したのも感じないほどうまい。

あれと同じなのではないか。無理に力任せにやるのではなく、そっとそっと最小限の傷で済むように丁寧にやってくださったからかもしれない。

昨日も普通にラジオ体操に行き、休日なのでのんびり歩いてきた。

その体力があることも誇らしかった。

今日もラジオ体操は行くにはいったが、散歩する気にならずに帰ってきた。

どこにあるのか感じなかった傷跡のあたりが痛くはないが主張する。ここですよ〜と主張する。

「気が張ってたから感じなかったんだよ」

夫はまた眉間に皺を寄せて気の毒そうに言う。

「今日もまだまだおとなしくしときなさい」

そう言って、また、出かけて行った。

息子も土曜はジムなので、今日は本屋にいくつもりだった。

そのために昨日はおとなしく1日家にいたのだ。

久しぶりに神保町の街をあるこう。天気のいい古本屋街をぶらぶらして、目当ての本を買って、ちょっとお茶しながら最初の数ページ読んで・・・。

そう考えていた。

電子書籍もいいけれど、本屋に本を買いに行くっていうのがやりたかった。

二人が出ていってから、Kindleで買う予定の本のサンプルを読む。

やっぱり欲しい。

電車に乗るのはしんどいから、どこでもドアがあればいいのに。ドアを開けたら神保町のすずらん通りにいる。それだといいのに。

そんなことをぼんやり思っているあたり、完全じゃないんだ。

今日は静養の日だな。

せっかくあんなにあちこち連絡をとりながら、慎重に、丁寧にやってくださったのだ。

もし、私がいっしょうけんめい綺麗に盛り付けた料理を、どうせ食べるからと箸でぐちゃぐちゃにされたらどうだろう。

がっくりする。

チームだ。

治療する人される人。される人の私が協力できることは万全の体調で当日行くだけじゃない。

回復を遅らせることをしないこと。

今日はスーパーに行くだけにしよう。本の代わりにお刺身を買おう。

焦るな。天気のいい秋の日はまた、来る。