息子の誕生日なので今朝、散歩の帰りにドトールの牛カルビサンドとミルクレープケーキを買って帰った。25になった。
誕生日祝いは日曜の晩にする予定なので今夜はなにもしない。なのでちょっとしたプチ祝いのつもりで朝ごはんに梨とスープと一緒に置いておいた。
それを見つけるなり「お」と反応する。
お誕生日だからさ。お祝いのつもりと言うと「ありがたいねえ」と予想以上に喜んだ。
梨も好物なので「好きなものばっかりじゃん」とご機嫌である。あんまり嬉しそうにしていたのでミルクレープは冷蔵庫から出すのをやめた。
夜、だそう。また喜ぶ。
幼稚園年長のとき、数週間前から「今年はケーキ焼いてあげようか」と言っていた。
父の葬儀、祖母の葬儀と例年続いていつも買ってきたケーキだった。自分が子供の頃は毎年ケーキは手作りだったので手を抜いているような申し訳ないような気でいた。
それほどやる気満々だったわけではない。内心、めんどくさいけれど、やるべきなんだろうなあという、後ろ向きな気持ちもあった。それを見抜いたかのように息子は私の提案に
「うん、そうだね。それもいいね」
と乗ってこない。
これはいけない。私の消極性が伝わっているのかもしれない。
市販のスポンジの素を使って、二人でクリームを塗って飾り付けもしてみんなに食べてもらおうかと盛り上げようとしても
「うん、もうちょっと近くになったら考える」
と言う。
そうだね、今から言われてもわかんないよね。その時の気分で決めようかと、保留になった。
そしていよいよ前日。
作るとなったら材料を揃えに行きたい。
どうする?再度尋ねた。
「うん、1日考える。」
「一緒にやるのが嫌なら、母さん一人で作ってもいいんだよ。」
すると、困った顔をしてこちらを向いた。
そしてとても気の毒そうに、けれど、まっすぐ私の目を見つめ、こう答えた。
「あのさ。お母さんのはさ。もっと普通の日に作ってよ。明日はさ、いつもの買ってきたやつがいい」
彼なりに精一杯、気を遣い、いい含めるようにゆっくりとそう言ったのだった。
いつもの買ってきたやつで、いい。ではなく、いつもの買ってきたやつが、いい。
その違いを彼は理解していた。
ケーキ作成の課題から解放された私はほっとした。
「そうだね。じゃ、明日一緒に買いに行こっか」
「うん!」
両者、合意。
依頼私はホットケーキミックスを使ったバナナケーキとマドレーヌ、冷凍パイシートを使ったアップルパイとパンプキンパイだけを、順繰りに焼いている。
平日の普通の日に。