昨日AmazonUnlimitedの本をぼんやり見ていたら毒親から離れる本というコミックがあった。
ふらふらとそれを借りる。
コミックだから興味本位の立ち読み感覚だった。
それでもそんな題材に手が伸びたのはどこか、まだ燻る感情が残っていたのかもしれない。
可愛いウサギさんがあんなことされた、こんなことされたと泣いている。それをカウンセラーの著者が一つ一つ丁寧に「あなたは悪くない」と解説していた。そのエピソードのどれもが自分の経験と重なる。なんだそんなこと。わかりやすくするために、現実の現場で起きている衝撃的な具体例は使わないのかな。これを毒親と言ってしまったら、世の中毒親だらけじゃないか。
私も私もと、被害者ぶってなんでも親のせいにしてしまう人が増えちゃう。
そのうち、毒親ワードというのが出てきた。
黒い画面に白くおどろおどろしいフォントでいかにも恐ろしい呪いの言葉のように並ぶそれを見て「え」となる。
兄弟と比べてあなたはダメねぇ。ウサちゃんが耳を塞ぐイラスト。
あなたは無能なんだから。
太ってる。痩せてる。みっともない。
はぁ・・・。不機嫌そうにため息。
その人とは遊んじゃいけません。
あなたには無理。
どうしてこうなのかしら。
え、え、え?
全部、当てはまる。
本当にこれらを日常的に言われて育った人は毒親育ちなのだろうか。
若かった母の姿が浮かぶ。
確かに辛かった。ベッドに潜って一人で泣いた。あれはなに、母が毒親で幼い私はこのウサちゃんだったっていうのか。
受け入れ難い。自分の場合はちょっと違うんじゃないかと違和感を感じて、その本をそこで閉じた。
先日会った友人にも、「そう、いないよ」と言われたが、その時もまあ、実際の母に会ってないし、目の前にいる私の全面的な味方であろうとしてくれている意思表示なのだと受け取った。
え。え。え。
混乱。
母がもし毒親に分類されてしまうのかと思うとかわいそうだと思う。
しかし心の奥底の底の底の方で、何かが納得して「ほら、やっぱり」と頷いている。
「ほっらぁ。おかしいと思ったんだよねえ」と頷いている。
この分類を自分の場合が当てはまるとしたら、うちの母は毒親になる。いや、うちは違うと私が思えばうちの場合は個性の強い困った親となる。
個性の強い困った親のことを毒親と言うんだと言われてしまえばそれは、あまりにも残酷だ。
私だって、きっとそれに含まれる。
人ってみんな個性強いし。
相性が悪かったとか、そういうふうに思いたい。