私と過ごす

だんだん身体が楽になってくる。

時々、この身体の中で何が起きているんだと思うほど動けなくなる。そういう時は思考も発想も勢いが無くなっているからどうしても物事の捉え方が明るい方からそれてくる。

最近わかった。

こういう時はただひたすら、じっとやり過ごす。

考えちゃダメ。

考えるのはある程度気力体力が回復してから。もし回復に時間がかかってどうしても気になる時は、自分で答えを探しちゃいけない。医者に行くんだ。

この頃、いよいよテレビを観なくなった。

夫と息子のどちらかが一緒にいる時は彼らがつけている。それを一緒に楽しむこともあるが、基本、ひとりのときはつけない。

意識高いからでもなんでもなく、引っ張られやすいからだ。グラグラ自分軸が揺らぐ。いろんな情報、いろんな人のコメント、そして全体としての風潮が私をそっちへそっちへと誘導する。違和感や怒りを感じる時も、その大きな流れの方が主流で正しいことのように次第になっている。

そうしているとふわふわと地に足がつかないような感じで、本当に自分が何をしたいのか何を心地いいと思うのか、わからなくなる、というより、どうでも良くなっていくのだ。

だいたいのところを押さえておけば、まあいいか。と一見穏やかな、でも何も残らない1日が過ぎてゆく。

小学生の頃、宝箱を持っていた。きれいな洋菓子の空き缶に、サンリオのおまけ、メモ帳、いい匂いのする消しゴム、蝋石、リボン。なんのだかわからないけど拾った、お伽話の挿絵にあったような形の鍵。蓋を開けてはうっとりにんまりする。使わない。眺めているのがいいのだった。

中学に入るとよくノートに言葉を書いた。好きな曲を何回も何回も聞いてそのいい気分に浸った。歌詞カードを見ながら写したりした。

学校の帰り道、嫌なこと悲しいことがあった時、一人で過ごす裏路地。そこに入って意味なく過ごす。

そうやっていつも自分の中の何かを確かめて大事にしていた気がする。

いつからか、周りにおいてかれないようにとそれが一番になった。

急いで急いで。

いかに1日を有意義に過ごすか。

いかにたくさんのタスクをこなしたか。

いかに。いかに。いかに。

そういうことが大事な時だったのだ。

あれはあれで必要な時期だった。

子育てをしながら、呑気に浮世離れな人ではいられない。

現に息子本人が受験をしたいと言い出せば、それを全力で応援する。あの子のお母さん変わってるねと言われないようにしないとと、PTAもサッカーの役員もママ同士の社交もこなした。

そしてそれらがもう全く必要ないことに気が付いたのが、ここ最近なのだった。

遅い。

息子はもう入社三年目である。

今は一人暮らしをするための住処を探しているというのに。

耳に入れるのは自分で選んだ音がいい。

映像も自分が楽しくなるものだけにしたい。

できるだけ、そうしたい。

昨日はそんな1日だった。

ゆっくりゆっくり時間が流れる。

唐揚げを作った。

いつものビニール袋に粉まで入れて手っ取り早く作るやり方じゃなく、下味をつけ、卵も絡ませ、冷蔵庫で寝かせて、丁寧に片栗粉をまぶす。

初めは低温で3分。取り出して高温で1分。

ふっくらおいしいのができた。明らかに見た目が違う。

いつもの倍以上、時間がかかった。

あとは味噌汁と作り置きのひじきとマッシュポテト。

一球入魂。

それ以外のほとんどは好きな音楽、好きな本、昼寝、ラジオ。

豊かな一日だった。