本屋に行った。
西加奈子さんのを買う。本当は違う人の本を探しに行ったのにどういうわけかフラフラと手が伸びてしまった。
カナダに暮らしている生活の中、乳がんになったそのお話。
朝のテレビで紹介していたとき「これは読まない」と決めていた。彼女の本は好きだ。表現が繊細で心のひだのひだのひだの先っぽまで丁寧で潔い。
だからきっと彼女の体験記は迫ってくるものがあって怖かった。自分と照らし合わせそうで怖かった。
摂食障害で今は苦しいところにいるが、それ以前に初期だったが癌もやった、喉にも嚢胞ができて手術した。生まれ持って心臓は小さく弱いし肝臓と腎臓も丈夫じゃないらしい。てんかんの発作もやった。
こんなの読んだら何かピンと張り詰めていたものが覆されそうだ。人の人生は人のもの。私は私でとにかく頑張る。それでいいじゃないか、わざわざ辛かった話を読んで共鳴したくない。
なんで発売から随分経った今頃、手に取るんだか。
なんだか読まなくちゃと、思ったのだ。
そんなタイミングが来たような。
この数日、友人に自分の話を全て打ちあげてから揺り返しのように自分の中身を掘り下げた。
母に対するモヤモヤした感情にはやはり恨みが残っていた。それに乗っかっていた姉にも似たようなものを持っていたことに気がついた。
やっぱり私は被害者ではなかった。
いい子でいようとしたのも自分。
認めて欲しいと思っていたのも私が選んだ解釈。
無茶をしたり、本音を隠して笑ったりその瞬間瞬間の態度を選んで行動したのはやっぱり私の脳と身体なんだ。
間違っちゃった。
いや、多分その時はそれが最善だと思ったんだからしょうがないのかもな。
とにかく、誰のせいでもなく、自分で選んだ道なんだ。
絡まっていた糸がするする解けていく。
緩んでいく。
それを学習した第二章を始める今。この本に手が伸びた。
もうここからは、人がどう思う、人にどう思われるじゃなく、自分がどうしたいと感じるか、何をしたくないと感じているか、ご機嫌でいるようにとことんそこに忠実に過ごそう。
地に足をつけて生きるんだ。
それが自然とできるようになったらきっと私はもっと優しく強くなる。世界も広がる。縛りもなくなる。
それでも迷ってパラパラとめくる。目に止まったところがあった。
「ねえ、これ見て、幸せに見えるにはって特集だって!」
日本の女性誌が、幸せな女性と見えるにはこんな服装、こんな日常、こんなくらしと紹介する記事に心底驚いている。
「幸せになるために、じゃなくて幸せに見えるにはって、どういうこと?」
そんな内容で会話が続く。
立ち読みをやめてパタンと本を閉じ、レジに持っていった。
この部分だけでも読みたい。
帰ると母がやってきてLINEの設定をしてくれと言われた。
不思議と物語の中の登場人物の一人が現れた場面のように、彼女の顔を真っ直ぐ見た。いつもの何を言われるんだという警戒心も消えている。
体操教室の人間関係をあれこれ。それから息子に対する意見と夫に対する忠告、私に対する不満も述べて帰っていった。
めんどくさい。
めんどくさいけど家族。
やっぱり家族。
今日から少しずつ、あの本を読む。
辛いところは飛ばしていいことにしよう。
ほじくり返した感情の壺がまだちょっとひりひりしている。
でも大きな断捨離をした。不要なものをだいぶ捨てた。
これからはこの壺を好ましいもので一杯にしていくんだ。