どこでも行くよ。会社辞めて晴れて暇人だから笑。二子玉のスタバでも、あなたの駅のドトールでも。
翌日、彼女からの返事があった。
ありがとう。とだけ返信する。どうしようかとまよう。すぐに今日はどう?と返ってきた。美容院だって神社だって一人で出かけるのも腰の重い私が即答していた。
お願いします。
午後、1時半の二子玉川。一年ぶりなのにやはり久しぶりとは思わない。
全て話した。摂食障害という単語をあえて使った。
「あのね、実は私摂食障害なんだ」
えっ。とか、驚いた表情とか、哀れむ顔とかでもなく、黙ってじっと私の目を見て「うん」と聞いている。
そして「急に痩せ始めたのが理由がわかって良かった」と受け止めてくれた。
どうしてこうなったか。カウンセラーの先生はなんと言ったか。倒れた時のこと、それ以前のこと、退院してからのこと。
順番があっち行ったりこっち行ったり。
全て、全て全て全て、話した。
誰にも言えなかったエピソードが口から出てくる。こんなことまで言うつもりはなかったのに止まらない。
三時間半、気がつくと5時、店内の客層はすっかり入れ替わっている。
気の毒がられることもなく、気を遣われることもなく、まるで業務連絡のように、看護婦さんの引き継ぎのように、時に事務的に時に彼女の意見や感想を笑いながら。優しく真剣に。普通に。
救われた。
解放したんだ、ついに。
「まあここまで大変だったね。」
そう。大変だった。苦しかった。
悲劇の主人公になりそうになるのをいつも、振り払ってきた。
そんな資格は自分にはない。こうなったのは全て自分のせいだと恥じていた。
カウンセラーや担当医に「なるべくしてなったんです」と言ってもらっても、それは患者にかける言葉としてのお決まりのセリフなんだから。私の場合は本当は違う。私自身が道を誤った。未熟だったと。
取り返しのつかないことをした落伍者がなんとか生きている、そう自覚してここまできた。
大変だったね。
うん。大変だった。苦しかった。
言えた。涙も出なかった。清々しかった。
だからと言ってすぐその場でケーキやサンドウィッチをぱくつく変化にはならないのだけれど、なにか、大きな山を乗り越えた、と、そんな感覚に包まれた。
「生まれてきてくれてありがとう。私と出会ってくれてありがとう。友達になってくれてありがとう。そしてここまで続いてくれて本当にありがとう。存在してくれてありがとう」
ふふふと彼女は笑った。
別れる時、改札の人混みの中、ハグをした。