買い物に行くのでぶらぶら歩いていると向こうから手を振る人がいる。
近所の酒屋のおばさんだった。
会うたびに私の体調を気遣ってくれる。その度に申し訳ないような気持ちになる程今の私は落ち着いてきた。
最後の砦は摂食障害だ。
いわゆる何も食べられないとか吐き戻しをしてしまうようなものではないが、ふっと突然出されたものが食べられない。外食も余程の覚悟を決めて事前からイメージトレーニングのようなものを繰り返し緊張して臨む。
以前通っていたカウンセリングの先生には「自分でコントロールできることが少なかったから、唯一の反抗なんでしょうね」と言われたがそうなのかもしれない。心の奥底では私は母を恨みそんな形で拒絶していたのだ。
その母も老いた。もう戦う相手ではない。相変わらず毒も吐くが、どこか可愛いと思えるようになった。
私も歳を重ねたのだ。
癖のように残っているこの食べることへのこだわりは、もう必要ないのだ。
それがはっきりわかっているのに手放すのが怖い。
自分がそれによってバランスをとっていた、そのものを捨てるということはいよいよ丸腰で生きるということだ。
傷ついた時、やるせない時、自分が壊れてしまうとでも思っているのだろうか。
私はそんなにやわじゃないはずだ。
息子のピンチだと学校に乗り込むほどのガッツのある人間だ。
夫の嘘にも我慢ならないと怒るほど、何にでも立ち向かう。
決して弱くないはずだ。強すぎるから、こんな障害を持ってしまったのかもしれない。
強く自分を律してきた。しっかり自分の足で立っているために。自分を許せるために。好きでいられるために。
震災の年だった。あの年に私は崩壊した。
今。
私はどんな自分でも、愛してやろうと思う。
不格好でも、劣等感まみれでも、垢抜けなくても、憧れられるような存在でなくても。
私だけは、私をしっかり抱きしめ、全肯定してやれる、そうしてやりたいと思う。
ここまできた。やっときた。
最後の砦。
ぽんっと軽く飛び越えてしまいたい。
飛んでみたら向こうっかわは案外楽しいことばかりかもしれない。
あともう少し、もうちょっと、強くなりたい。