乙女、健在

昨日、母がやってきて吹き矢の的を買って欲しいと言う。

「お金は自分で出して買うけどあなたが注文してくれない」

私がアマゾンの会員なのですぐ届くからかと思い、いいよとその場で検索した。

「それじゃない、もっとしっかりしたの。お姉さんが調べてくれて、ああこれだなって。もっとたくさんあったのよ」

私のパソコンの画面を覗き込む。

姉が調べて目当てのものが見つかっているならなぜその場で買わなかったのだろう。姉は会員じゃなかったっけかな。

プライムの会員だと早くて当日か翌日、届く。余程すぐ欲しいのかと検索を続ける。

「いい、いい。やっぱりお姉さんに頼むわ。お姉さんに頼むと迷惑かかるかなと思って」

なんだか変なことを言う。よく聞いてみると吹き矢の教室で一緒に通っている従姉妹が最近絶好調なのだそうだ。

「あの人、だんだん調子に乗ってみんなの前で私にそうじゃない、こうやるんだとか偉そうにいうようになってきたの。先生も下手な人の例としてお母さんのこと、ちょっと来てっていってみんなの前に立たせるの」

ああ。それで。

「闇の自主トレか」

おかしい。相変わらずの負けず嫌いだ。

「お姉さんには隠れ自主トレって言われた」

そこはあっさり認めた。だがどうして私のところで頼むのか。

「お姉さんに頼むと携帯にそのお店に注文した証拠が残るでしょ。」

どうやら姉は母の携帯を使って検索し、その場で決済までしようとしたところを、やっぱりいいわ。トンに頼むからと止めたらしい。ところが自分の思っていた商品とは違うものを私が検索して出してきたが、やっぱり姉の見つけたあれが良かったというわけだ。

「いやいや、お店にはお客さんの注文は残るけど、そんなの他の人に言わないよ」

「あ、そう」

あたりまえだ。そんなこと母だってよくわかっているはずだ。

なんか噛み合わない。さらに聞くと、その従姉妹が母の携帯をいじったりしたときに、こっそり吹き矢グッズを買った履歴の画面を見つけられてしまうことを恐れているのだった。えへへ。バレちゃったぁ。でいいようなことだと思うが、絶対知られたくないのだ。

私のパソコンから買って私のところに届くようにすればその心配はない。

それならそうと言えばいいのに。姉にも私にもそこまで説明はせずに事を進めようとするから話が見えなかったのだ。

「なんだ、じゃあ商品が見つかってるならお姉さんに購入手続きしてもらうときに私の名前と住所使って、支払いはお母さんのカードにしておけばいいじゃない。いいよ、名前、お貸ししますよ」

パッと顔が明るくなった。

「あ、そう?そうしていい?あの人、うちにもちょくちょく突然来るし目ざといから。あ、じゃあ、そうするわ」

ややこしい人だ。

遠回りに遠回りに言うから。

「いいよいいよ、闇トレ頑張んなさい、上手になってどうだって、威張っておやり」

笑うと「そんなんじゃない、先生にあまり下手だと申し訳ないから」と何度も訂正する。

ああこの精神。このガッツと体裁を気にするところ、本音は言わずに、物事をなんとか自分の思い通りに進めようとするところ。そして負けず嫌い。

あくまでも自分は内気で気が弱い人間だと言い張るところ。

私はこれを察する子供ではなかった。いちいち母の言葉を真正面から受けとった。賢い姉はきっと幼いときからそこを理解し、うまく立ち回ってきたのだろう。

母にしてみたら闘争心ゼロ、頭脳も体力も劣っている取り柄のない次女は焚きつけても焚きつけても思い通りに動かない。なにをやらせても鈍臭い。あっちもあっちで相当イラついたろう。

根本的に私たち二人は深いところで理解しあえない。

けど深いところよりさらに深いところで愛しすぎるくらいに愛し合っている。

愛があるからこそ苦しんだ。

そのあと照れ隠しにどうでもいい世間話を長々して帰っていった。そのどれもが価値観が合わずに聞いていて引っかかる事ばかりだったが、ヘラヘラ聞いた。

「ありがと、じゃ、名前、借りるわね」

昨夜のように家族全員そろうと、特に夫と息子がいると母はおとなしい。しかしこうして二人きりの長い時間はやはり消耗する。

チャーミングではあるんだけどなあ。

これこそが彼女の魅力であり、やっかいなところなのだ。

82歳の母の魂はキラキラ無邪気に光ってる。

カサカサカサっと緑道の脇から現れ道の真ん中で止まった。おまえはなにものだ?ふたつがひとつにくっついているのか。ひとつの生き物なのか。