朝、起きてきたら夫がリビングでラグビーを観ていた。
ワールドカップが始まった。学生時代にやっていた彼はしばらくこんな風に夜中、明け方に起き出して試合を追いかけるのだろう。
体の弱い自分からすると睡眠を削ってまで観るなんて大丈夫なのかと不安になる。
それにまったく無頓着で力の限りやりたい放題の彼に腹を立てたときもあった。
意識は若くとも新聞を読むときにメガネを外し、誌面に顔をぐっと近づけて読んでいる。確実に身体は中年のおじさんなのだ。
夕飯時にテレビを見ながらこっくりこっくりしているのを見つけると「ほらやっぱり疲れてるんじゃないか」と怒ったりしたが、あれは自分といるのに寝るとは何事かという、実は「私を蔑ろにするな」という可愛い私の女の子の部分が膨れているだけだと気がついた。
あれは拗ねているのだ。
つまり私は夫の体を心配しているというより、彼が倒れたり体調を崩したりして自分の生活が脅かされることを恐れているのだ。
不安は彼のためじゃなかった。心配も彼のためじゃなかった。
彼は大丈夫。今はぶよんぶよんのお腹をしていても昔鍛えた身体は丈夫だ。そして超、マイペースの男なので精神も強い。遠慮なくいつでも寝る。決して家族のために自分を犠牲にしてまで無理をしない。
そう何度思っても、不安でモヤモヤした怒りが浮かんでいたのは、あれは実は自分への不安だったのだ。
大丈夫。私はどんな状況でもきっとそれなりに強く受け止める。
それなりに喜び、それなりに笑い、それなりに満ち足りてそれなりに幸せを感じて、結構満足して暮らす。
最近そんなことに気がついた。
あ、私って結構大丈夫な人なんだ。
だったら何を怖がってんだ。私って何が起きても結構大丈夫なんだった。
想定外のことを次から次へとやる夫に腹を立てていたのは、予測不可能なことへの怒り。
そもそもそのヘンテコ加減が絶妙に合うもの同士で結婚したのだ。
あっちがああだからこっちも安心して脱力していられる。
そっかそっか。これでいいのか。
「あ、おはよう。すんません」
一晩中、起きていたことをまた怒られると思った夫がニヤッと笑う。
「どこ対どこ?」
「フランス、ニュージランド」
これでいいんだ。