息子が暗い声で帰ってきた。
「ただいま、あのさ」
何だ、何を言い出す、何を聞いても大丈夫なんだと自分にグッと言い聞かせ、構える。
「健康診断の結果が返ってきたんだけど、コレステロール値、前よりもっと悪くなってた」
何だ、そんなことか。
決していいことではないが、衝撃は小さい。会社で取り返しのつかない失敗をしたとか、誰かに傷つけられたとか、誰かに迷惑をかけてしまったとか、誰かを思いがけずに傷つけてしまったとか、そういうのではなかった。
コレステロールは遺伝性のもので高い。私もそうだ。母もそうだ。102歳まで生きた祖母もそうだった。
「心配いらない、それは、大丈夫」
強く迷いなく、言ってやる。
「でもさ、半年後、再検査してくださいって、ジムにもちゃんと通ってるのに」
近所の内科の先生に前回引っかかったときに相談に行かせた。あまりに狼狽ているので、それは致命的なことではないといったニュアンスを医師の対応から直に感じ取れば落ち着くだろうと思ったのだ。
そのときは、まあ、運動してねと言われ、薬も出ずに返された。
それでも目の前の息子は落ち込んでいる。
そうだよな。私から見ればこのくらいの数値、どうってことじゃない。私の検査表には赤いランプの点滅した項目がずらっと並んでいる。それらを眺めて先生は「お、いいですね」と言うのだ。人はその人の全体の中でバランスをそれぞれが取っている。
一概に一つの項目だけの数字と世間の平均値だけを比べても、実際とは違うことだってあるのだ。
「そういう体質でそういう傾向がありますから気をつけましょうってくらいに捉えればいいんだよ、大丈夫。そんなに心配ならそれ持ってまた先生のところに行っておいでよ」
「行かないとダメってことかよ」
怯える。
「そうじゃない、ちゃんと向き合ってくれば自分で理解して納得して安心できるでしょう。」
何がどうなっていくんだろう。
自分はとんでもないことになっていくのか。
早く死ぬのか。
そうやって、自分の妄想を膨らませているよりはずっといい。
そうだ。見えないことが不安なのだ。
「そんなに心配なら夜更かししないで野菜も残さず食べて睡眠をしっかり取るように気をつければいいじゃん。それから医学はどんどん進化してるんだよ。大丈夫、そんなんで早死になんかしない。そんなことより早くお風呂入って食べて寝るほうがずっと大事で前向きだよ」
わかった、と言って階段を降りて行った。
・・・静かである。風呂場のドアを開ける音も水の音もしてこない。物音がしない。
あいつめ・・。
ガバっとベッドから起き上がり、階段の上から一喝した。
「そんなところでネットで情報集めたりするのやめなさいよっ。そういうときって自分の不安を煽る情報ばかりを追って読み込んで妄想を膨らますだけなんだからっ!」
階段の下から照れ笑いの顔が出てきた。
「何でわかるんだよ」
「くだらない。そんなに情報が欲しければまた先生のところに行っておいで」
「何だよ、行かないとダメってこと」
「そうじゃない、医学を学んでもいない人間が動揺に任せた勢いで、玄関先で携帯見ながらその場しのぎの検索で自分の不安を煽るんじゃないって言ってんの。さっさとお風呂入って寝なさいっ」
「へーい」
久しぶりの母親の本気の怒鳴り声に息子は落ち着いたようだった。
「安心したぜ、風呂入る」
不安は、わかる。
でもそこにフォーカスするな。大丈夫なんだから。
大丈夫の周波数は大丈夫を呼ぶんだよ。
自分にも言い聞かせて、また、眠りについた。