ゼリーの日曜日

夫が山のようにゼリーを買って帰ってきた。

「これから帰ります。トンさんにゼリー買ったよ。息子のもあるよ」

そうラインが来たので息子に言うと

「ご機嫌取りやな」

とにやっと笑った。

そうか。そう言うことか。今日も自分のテストで出かけて行った。息子曰く、そう簡単に受かるような試験ではないのに全くのノー勉強で出かけて行った。受験料だけでも10000円するらしい。

ゴルフの教室に行ったと思えば。医療費に消えたなんてことに比べれば。海外旅行に一人でいく趣味と比べれば。

大学の時に付き合っていた彼は競馬が好きだった。いつもは温厚でユーモアがあって楽しいが、競馬となると別人になった。

お金をどんどんそこに注ぎ込むのを私は理解できなかった。

言葉遊びのやり取りの感覚が合う人で大好きだったがどうしても、同じテーブルで暮らす景色がイメージできなかった。

夫は平和である。

私の理解できないところで生きているのはこの人の方が強烈だけど、なぜか、わかる。信じていられる。

この試験も彼なりの考えがあるのだ。

そしてそれはおそらく、私の発想からはかなり遠いところのもので、語り合っても意見は平行線なのだろう。

それでもわかるのだ、彼も一生懸命なのだ。ちょっとズレてるけど。

「母さん、なんであんなのと結婚しちゃたんだよ。間違えちゃったの?」

冗談まじりに息子がよく笑っていう。これにいつもうまく答えられなかった。

「うーん、だって本人が僕だって言うから。なんかそうかなって思ったんだよね」

本当は違った。出会った時に感じたのは

うわ、この人と結婚することになるんだろうな。えー、この人?やだなあ。なんでこの人・・でも、なんだかんだ言ってこの人と結婚する気がする・・。

だったのだ。

恋に落ちたとかそういうのと違って、はい、ここです、と教えられた感じ。

その時の勘がこれまでの私を支えた。

そして最近、そこに彼自身を丸ごと信じ切れる何かが加わったように思う。

それは自分自身を信じられるようになってきたからなのだろうか。その辺がよくわからない。

買ってきたゼリーは常識を超えた量だった。高級果物店の上等な品だ。

紙袋にいくつか入れて母のところに持って行く。

「お土産で買ってきてくれた。ご機嫌取りだって息子が笑ってたよ」

母は喜んだ。

「ご機嫌取りって誰の」

「・・たぶん、私」

「そう、ならいいわ。ちゃんと褒めてあげなさいよ、ちゃんと褒めるのよ」

この前事故の説明に行った時、コッテリ絞っておいたと言っていた。母もまた母なのだ。

家に戻ると夫が得意そうに立っていた。

「いいよいいよ、お母さんにもあげなさい」

「お母さんが喜んでたよ。誰へのご機嫌取りなのかって聞かれたからたぶん私って答えたら、よしって。そんで、ちゃんと褒めてあげなさいって」

夫は大笑いした。

私も笑った。

息子もつられて笑った。