悲しいシリシリ

日曜の午後。どかりとIKEAの椅子に乗っかりiPadソリティア。カレーを作り終えたところだった。

実家と繋がる内扉がノックされた。

やだな。

瞬間、そう構える。実家天国という感覚が私にはない。

とたん、構えてしまう。

「はーい」

わざと明るい声が反射的に出る。強く陽気な声を出す。

母だった。皿を二つ持っている。

「もうおばあちゃんになっちゃったから上手にできなくて」

苦笑いしながら差し出したのはニンジンと卵のシリシリと、レンコンと豚肉の金平だった。

「ありがとう」

立ち上がり受け取った。

ありがとう、というのはその気持ち。私に食べさせたいと思って持ってきたその気持ちに素直にありがたいなと反応した。

「あなたが、食べなさいよ。野菜なら食べられるかと思ってわざわざ持ってきたんだから。」

「はい」

きゅっと喉が詰まる。

「いい、あなたが、食べなさいよ。二人に食べさせちゃダメよ。あなたに食べさせたくて持ってきたんだから」

「うん、ありがとう」

「全部、あなたが食べるのよ、野菜ならいいでしょ」

ああやっぱりダメだ。早く帰って欲しい。

それから母は昨夜、夫から車の事故の説明を聞いてたっぷりお説教をした、その内容について話してから家に戻って行った。

滞在、ほんの数分。

お茶でも飲んでいきなよ、という余裕も発想も浮かばなかった。

いらない、と突き返したくならなかっただけ、いい方向に変化したことに気がついたのはその日の夜遅くなってからだった。

ニンジンシリシリをちょっと摘んで口にする。

食べられない。

もう大丈夫かと思ったのに。

受け付けない。

外食も自分で作った食事も、工夫をすれば食べられる。

買った惣菜でも食べられるというのに。

母と姉の作ったものが、食べられないのだ。

薄々、感じていた。やっぱりそうなんだ。そしてまだ、私はダメなのか。

頭ではよくわかっている。母がどんな気持ちで持ってきたか。

その気持ちを思うと、不器用に盛り付けられたニンジンと焦げた卵とレンコンが愛おしく見えてくる。

これをわーいと、その場でムシャムシャ食べてやれたら、どんなに喜んだろう。

しゅん、と萎んでいく。まだ、食べられない。希望が消えてしまった気がした。

静かにソリィティアに没頭する。何回も何回もやった。

母を超えたと思っていたのに。何を恐れているんだろう。

もう、ここまでが限界なのかと思うと悲しくなった。

野菜だから肉だからじゃない。まさか自分が受け付けられていないなどと、母自身、思ってもいないのだ。

それの行き違いが苦しく悲しく、罪悪感。

日が暮れるまで、頭の芯が痛くなるまでソリティアをやり続けた。

いいよ、いいよ。食べられないんだね。それでもいいよ。

ちゃんと他のものは食べられているんじゃない。

だいぶ、カチカチ頭が柔らかくなってきたよ。

憎しみの感情が消えていることに気がついた?ちゃんとお母さんを超えてるよ。その気持ちを愛おしく思うようになってきたじゃないの。怒りは湧いてこなかったでしょう。

無理しなくていい。ダメな自分を責めなくていいよ。

それなりのわけがあるんだから。

あなたは悪くないよ。

そんな言葉が浮かんできた。

私の中の私が一生懸命私を慰めている。

私は味方だよ。いいんだよ。わかってる。大丈夫。

いつか食べられるようにならなくちゃって思わなくていい。

今のまんまでも大丈夫だから。それでいいから。

ごめんね。ごめんね。

満足そうに帰っていった母の後ろ姿を思い返して心の中で繰り返した。

昼過ぎ、息子が起きてきた。

「なんか食べるもの、ある?」

「あるよ」

金平とシリシリをそっと添えた。