暑いけれど、秋の日差しに変わってきた気がする。
突き刺すようなのから、やや斜めから差し込んでくるのになってきた。風も相変わらず生暖かくじとっとしているが、それでも若干の乾いた軽さを感じる。
ちゃんと秋はこっちに向かっている。
こんな安堵感。マイナス2度に怯えていた真冬に、やっぱり柔らかくなってきた日差しに、春の兆しを見つけて嬉しくなった。
季節は巡っている。
もうじき父の命日が来る。
大好きなお父さんが、死ぬのだとわかった時、自分はその先どうやって生きていけばいいのか恐ろしかった。
生きていき方がわからない。生きていけるんだろうか。
亡くなったあと、しばらくは父に恥じないように、お父さんに嫌われないように、お父さんだったらなんて言うだろうとやってきた。
父にしてみれば迷惑だったろう。やっとこの世を離れてあちらで楽しくやろうと思っているのに、下の娘が妙な気を送ってくる。
お父さんお父さんと呼んでいる。
おい、もうそっちに行けないんだから、しっかりおやり。何をどうやろうと、嫌いになったり軽蔑したり見放したりなんか俺はしないぜ。
勝手に楽しくやってれ。
でも優しい人だったから、きっぱり見捨てることもできないし、気になったかもしれない。
天国に行っても手を煩わせた。
今。
父のことを懐かしく思うと言うより、会えない家族という風に自然となった。
どこか遠い海の向こうの国に住んでいる。会おうと思えば会えるけど。遠すぎるから無理して会いに行かなくても。繋がっている。
そんな感じだ。
お父さんがどう思うか。
それも薄れてきた。
私が。私の世界。作り出すのは私。
父から教えられた大事なことは無意識のうちに染み付いている。それでもそこからはみ出る考えや感情、それは、それこそが私個人の特有なものなのだから、否定して押さえ込むことはしなくていい。
怒ること、できないことは断ること、嫌だからというだけの理由で断ること、めんどくさいという理由でやらないこと。
それらを許した。
いいよいいよ、怒っていいんだよ。
断っていいよ、嫌なんだから。
そうやってとことん自分を甘やかす。
何をやっても、私は私の味方。絶対的な味方でいるよ。
自由だなあと思う。毎朝、目が覚めると、意味もなく楽しい。
体調が悪い日でも、それなりに過ごそうと、悲しくまではならない。自己嫌悪も減った。
これまで苦しかったのは、周りのせいじゃない。
私が。私を攻撃していた。いつもいつも、こんなんじゃだめ、もっと、もっと、成長しなさい、おおらかになりなさい、意義のある人になりなさい、と叱咤激励をしてきた。
ごめんよぅ、私。
不機嫌になっている自分を責めていたけど、何か気に入らない理由があったんだよね。
理想形に当てはめてその中に押し込めようとしてた。
凸凹しているものを、綺麗な正方形の中に無理やり突っ込んで、いき苦しくて、意味もなく悲しくて。
こういう人になりたい。こういう人に見られたい。
そんなのもういい。
私は変わっていく。無限に変わっていく。形を決めることなんかできない、しない。
これからどんな自分になっていくのか。
季節は巡り続け、私も変わり続ける。