「明日、ちょっと早くいく」
そう言われただけでどうして私が緊張して早く目が覚めるんだ。
息子の長かった休暇が終わり、明日から出社という昨夜、そう言われた。
「仕事が溜まってるかと思うからちょっと早めに行かないと」
本人にしてみれば別にそう言うからどうしてくれという意味もない。ただ、そう思っているんだということを自分自身に確認するように呟いただけなのに、それを聞いた瞬間、私はピキンとなる。
夫も息子も私になんの期待もしていない。二人とも私が朝寝坊しても私を責めたりしたことはない。
息子が高校に入ると気が楽になった。義務教育が終わったのだ、この先は自分の責任でやって貰えばいい。たとえ遅刻しようが、成績が落ちようが、痛い目にあって覚えればよい。ハラハラはするが、ここから私の役目はグッと腹を括って見守ることだ。精神的にはキツかったがやるべきことはグッと減った。
神様から預かった魂を社会に返すまでが自分の任務だと信じていたから、道筋をつけて導くことは自分の仕事ではないし、そんなこと、責任取れないし自信もない。つまり無能な母親は余計な手出しはせず本人に任せたほうがいいという考えだった。
それがどうだ。
いざ本当に会社に行くようになると、朝ごはんを食べないで家を出ることにならないようにと、気を回す。
学生の頃なら「夜更かしを続けるとどういうことになるか身をもっておぼえるがよい」と突き放していたのが、こう変わる。
朝食を抜いてぼんやりした頭で普段ならやらかさない凡ミスをしたりしないように。
社会でやらかすと洒落にならないとどこかで思っている。
本当はそんなことないのだ。どんなときだって必ず道はある。それこそ、社会人として、経験して行くべきことだ。
だが、本人がうけるダメージを思うとできることなら回避したい。早く行くと言うのはいつもと違う時間に家を出るという業務連絡で、何も求めらていないというのに、本当に早めに起きてくるかとなんとなく一緒になって早く起きて待機する。
大抵放っておいても勝手に起きて適当にやっていくのに、まさかの事態のセーフティーネットのつもりで、様子をうかがう。
馬鹿らしい。この馬鹿らしさ。
夫を送り出す時、むすっとしながら毎朝ハグをする。
むすっと不機嫌な顔をしているのは照れくさいから。
「お昼、菓子パンじゃないの、食べなよ」
「はーい」
そして庭に面した窓に回って門から道に出るとき、手を振る。そこにも新婚夫婦のような可愛らしさはない。
頑張ってこい。そして、生きて帰ってこい。
心の中で念じて魔法をかける。
祈っている。
おかえりとただいま。二人が無事に、痛い目に合わず帰ってくるように。