朝の音

朝、ラジオ体操に行こうと携帯を手にとると充電が切れていた。どういうわけかiPad用の充電を差し込むと携帯の方は充電されない。反対にiPadの方は携帯の充電を受け入れる。おそらく、素人の推理によるとバージョンとか仕様とかが携帯の方が有能で、iPadを受け入れず、iPadの方では「なんだかすごいのきた」とびっくりしつつも高速充電をしているのかもしれない。

意外と、iPadの方は方で、いつものまったりのんびりした古い充電器の接続が戻ってくるとホッとしていたりして。そう考えると逆につないでいた昨晩はどちらにも気の毒なことをした。

一瞬、充電切れの携帯を持ち、固まる。どうしようか。これには電話機能より大事な役目として、ラジオと歩数計がある。

iPadを持って出ようかと考えて、すぐ、気がつく。そうだ、これ、Wi-Fi入れてなかった。家の中ではラジオも聞けるが外ではダウンロードしてある本を読むくらいしかできない。

うーん。

思い切ってどちらも置いてでた。

ラジオなしでは長い時間、歩けないかもしれない。いつもなんとなく聴きながら、足が動いているうちに公園につく。ラジオを聴きながら歩くにはもう一つ、訳がある。外界を遮断すること。

鬱からのリハビリで歩き始めた頃、自分以外の誰も彼もが自分より輝いて見えた。それに比べて人生から落ちこぼれた己が惨めに思えて仕方なかった。向こうから知った顔のママさんがくると木陰に隠れ、隠れたりしている自分にまた落ちこんだ。

耳にイヤフォンをして、聴き馴染みのある声を聴きながら、地面を見つめて黙々と歩いた。

自分を惨めと思っていたからそんな風に世界が見えた。

そいういう設定で世界を見ていたから、そう見えた。

今の私はあれから特別優れた何かを手に入れてもいない。

前を見て真っ直ぐ歩く。

蝉の鳴き声、鳥の囀り、犬を連れて歩く人たちの挨拶、風の音。

遮断していた音たち。

朝の音。

自分の歩く足音が聞こえる。

同い年くらいの女性がジョギングをして颯爽と過ぎていった。

いいなあ。

美しい。

全て完璧。

不完全な私を含めて完璧なバランスなのかもしれない。

肘のところが角ばって、そこから先が枝ように伸びている自分の影。

これはこれでいい味出してる。