少し前にふと思ったと、全て完璧なんだなあということ。
ダメなつくりだと劣等感の塊だった自分の身体も心も、容姿も、社会に出て働くことがうまくできない無能さも。
みんなとちょっと違うと感じるいろんなこと。
なんとかしようと向き合ったり、訓練したり、落ち込んだり、気にしないようにしたり、ジタバタしてきたけれど、あれはなんでだろう、急にふと思った。
このへっぽこ加減が私の完璧な形なんだ。
私に限らず、私の周りの全ては、それが完璧。
不満に思ったりこれじゃいけないと慌てたり矯正しようと努力したりしたけど、あれも通る道としては必要なことだった。
ここにたどり着くまでにはあの日々は必修科目だった。
人と比べることをやめるとすごく、自由になる。
過去の記憶も消すとありとあらゆることに寛容になれる。
これは正しくてこれはダメとか。こういうことをするとこう思われるとか。そんな基準は過去から積み上げてきた。
私が、そう感じただけのことだった。
真実なんてあるようで、なくて。
起きている現象に対して反応した私の感情がこれじゃダメだとしていただけだった。
私が気楽でいることに誰の許可も承認もいらない。夫からも息子からも、どんなに近くで大事な人達からも必要ない。
ずっと前からそうだったのだ。
承認が要らないなんて!なんてのびのび!
息子が大学の頃、全てがつまらない、俺の人生は終わったと、毎日暗いため息をつく時期があった。
それに対し「現場にいる本人にはわからないだろうけど、人生の単位から見るといい方向に向かってる。順調だよ。今のしんどさはただの通過地点だからなんの心配もいらない」と答えていた。
本気でそう思っていたし、現に息子は今、ぶつぶつ言いながらも結構、やりがいを感じながら仕事をしている。
どうしてそれを自分に当てはめられなかったんだろう。
それだけわかっていたなら、気づいても良さそうなもんだ。
私の今も昔もこの瞬間も全部、途中で順調でなんの心配もいらないんだ。
そうは言ってもなあ・・と時々そわそわする。けど、その度に、「あ、いいんだった、なんだかよくわからないけど、これでいい。」と自分に言ってやる。
過去も未来も妄想!
息子の机の脇に筆ペンで書いた文字が貼ってあった。
思春期、「こんなんで俺の人生どうなっちゃうんだ」と不安がっていた息子。
「過去も未来も君の頭の中で考えた妄想、あるのは今だけ。今の連続だけだから心配いらない。さっきの今ももう過去だもん。」
そう言ったときのだ。
壁の張り紙はもう茶色く変色している。
ご機嫌な今、をつなげていけばいい。
苛立ったり、悲しくなったり、感動したり、いろんな感情を味わいながら、穏やかなご機嫌にまた戻る。
荒れ狂う波があるから凪のような日々に改めて居心地の良さを確認する。
ぷかぷか波にゆられているとき、心の底から幸せだなあって感じる。
これまで苦しんだり生きるのが嫌になったり消えてしまいたくなったりしていたあの頃の私に会いに行ってぎゅうっとしてやりたい。
大丈夫、それ、必須科目でしんどいけど、順調だから。それでいいんだから。間違えてない。
ヒョロヒョロ伸びた骨張った腕も。ぽこっと出てる下腹も。シワのある口元も。気に入らないけど、すべて愛おしい。
今の自分にも言ってあげよう。ここまできてもまだ、時々そわそわ自信なさげにしている時の私があらわれる。
そのまんまがいいんだよ。変える努力なんかしなくていいよ。それが、好き。今のまんま丸ごと、それがいい。
肩から力が抜けていく。ただ転がっていればいい。
無限に自由が広がっていく。
いつのまにか子鴨が産まれてた。なんか嬉しい。