2023 7 30

土曜丑の日。夫の誕生日と重なった。

数日前から二人が楽しみにしていたうなぎ。生協の冷凍を用意していたのだが、いざ中身を開けてみると思っていたより小さい。前年と同じものを頼んだのだが、こんなだったっけ。

スーパーに買い足しに行こうかとチラッと考える。

数日前に誕生パーティをしたとはいえ、誕生日だ、ちょっと華やかにしてワイワイ祝ってやりたい。

しかし体調は絶好調ではない。うなぎで助かったと思っていたほどの低空飛行をよろよろふらふらしながら踏ん張っている。この暑さの中、外に出ていく案を脳が思いついても身体の方が「いやいやいやいやそれ、無理だから」と突っぱねる。

精進揚げを追加することにした。

ナスと玉ねぎ、にんじん、じゃがいも。じゃがいもはこの場合おかしいかと迷ったがカボチャやサツマイモがあるんだからいいんじゃないのとやってみた。

暑さの中に出て行く代わりに揚げ物をするこの矛盾。しかしあの外気温の中の往復よりはまだいい。

ザクザク切って、衣につけて次々と油に落とす。量の加減が分からなくて少ないよりはいいとやっていたら、山ほどできた。

もはやメインがこっちでうなぎはサブ。

具がなかったので豆腐を入れた茶碗蒸し、缶詰の鮭と大根の煮物でなんとか体裁は繕った。

どっと疲れたが気分はすっきりした。

自分がやりたいからやった。夫は子供の頃に両親の離婚で母親と早くから別れている。誕生日に家でお祝いなんてやってこなかった。友達の話を見聞きしながらずっときた。

質素でも「おめでとう」と乾杯してやりたい。

と、これは私の勝手な自己満足だが、どうしてもそうしたかった。

夫が帰宅した。

午前中、不自然な口調で「ちょっと親父のとこ行ってくる」と出ていった。先週会いにいったばかりなのにな。楽しみにしている卓球王国という雑誌を買って届けてきたんだと言っていた。別に嫌なわけじゃないが、特に用事もないのに連続で行くなんて変だな。ああ、誕生日だから、お義父さんにこれまでありがとうと、礼を言いたくなったのかもしれない。

深く追求せず送り出したのが帰ってきたのだ。

彼の外出を、息子と私の母はそ怪しんでいた。

やはり二人も違和感を感じたようで「どこかまたついでに寄り道してんじゃねえか」「本当はどこか違うところに行ってるんじゃないの。いつもあなたをほったらかして自分は好きなことしたい人なのね」と言う。

母があんまり私を哀れむので危うく惨めな気持ちになりそうだった。

夕方4時に遅い昼ごはんを食べていたところに

「ただいま」。

あれ。

その声が。トーンが。なんと言うか、モヤがかかって勢いがない。二人の言葉がよみがえり警笛を鳴らす。

おかしい。

「おかえり。どこ行ってたの」

「え、だから親父んとこ」

一か八かの勝負、強気に出た。

「だから、どこ、行ってたの」

「だからおやんじんとこ」

遠くから強い口調だが固まり立ち止まっている。嫌な予感が膨らんだ。頼むから間違いであってくれ。ごめんと謝らせてくれ。

「違うでしょ。どこ、行ってたんですか」

ああ。

ニヤニヤ笑いながらこっちに歩いてくる。

「えっとね。武蔵小杉にちょっと、試験を」

先日のTOEICが思っていたより点数が下がったから今度は思いつきで急遽、英検の準一級を申し込んだそうだ。

昨日の夜、のんびり日本代表のラグビーを観ていた。隅田川の花火大会も楽しんでいた。

なんの勉強もしちゃいない。

試験といっても、そこまで必死に取り組んでいるわけじゃない。ただなんとなく、日にちが合えば、受けに行く。息子はもはや趣味だと言う。

試験を受けに行ったことはどうでもいい。

しれっと嘘をついた。また、ついた。

人はあんまり疲れていると怒るエネルギーも湧いてこないのか。ただただ落ち込んだ。

「トンさん、ごめぇん」

いいよと笑えない。身体がぐったりしているところに、脳もダメージを受け放心状態である。

夕飯前にシャワーを浴びる。彼は彼なりに試験を受けに行かずにはいられない衝動があるのかもしれない。勝手にやみくもに手当たり次第受けているだけだと思っていても、そうしないと落ち着いていられないなにかがあるのかもしれない。私が心の中の迷いをすべて晒さないように、彼だって抱えているものがあるのかもしれない。

風呂から上がると今度は息子が帰宅していた。夫からやらかしちゃったと聞いて激怒している。私が天ぷらを揚げているのを見ながら母さんは揚げて甘やかすなあと言っていたので彼は彼で正義感がおさまらない。

買ってきビールを飲ませねえと冷蔵庫の奥底にしまう。

「何度目だよ嘘つくの。かっこ悪いな」

あうー。楽しい夜にしたかったのに。

それでも一応、「お誕生日おめでとう」と食卓で呟いた。

やたら豪華チックに並んだテーブルを見て夫は何かを察したのか「トンさんほんっとごめんなしゃい」とグラスを近づけてきた。

「引っ込めろよっ」

息子が制す。

テレビの中で日村さんが旅をして美味しいものを食べおどける。どんよりする私と対照的に、画面を観ながら声を上げて楽しそうに夫が笑う。

「笑うんじゃねえっ。」

うなぎが美味しいと二人、喜んだ。

ナスとジャガイモの天ぷらが好評だった。

茶碗蒸しもあるとそれぞれ、言う。そうだよ、二人の好物だから作ったんだよとは言わなかった。

言うと余計夫を追い詰め自分が間抜けになるようで、やめた。

僕もビール飲もうかな。

飲むな、オメェのために買ってきたが、飲ませねぇ、オメエにその資格はない。

私はひと缶飲んだ。酔いが回る。

全てがふわふわとしてきて、どうでもよくなって、これはこれで平和だなあと、ぼんやり眺めていた。

夫、56歳の誕生日の夜。主役、飲めず。