お年頃

母が、もし、そういう状態になったら胃瘻はしないでと言った。

小学生の頃からずっと仲の良かった友達が、急に入院し、あれよあれよという間にそうなったのだった。

意識はあるが話せない。絶望した彼女は生きることを拒否して口をつぐんで物を食べようとしない。そこで娘たちはなんとか生きてほしくてその手段を選んだ。

「私の時はやめてね。もういいから。延命治療もしなくていい。書いておくけど、そうされちゃったらもう何もできないでしょ。だから言っておくわ。絶対にしないで」

わかったわかったと姉と二人、聞いていた。

それから数ヶ月経ったある日、私と二人のときにこう言った。

「お姉さんは優しいから、いざとなったらお医者さんに言えないかもしれない。やめてよ。あなたちゃんと言ってよ」

「わかったわかった。チューブだろうとなんだろうと引っこ抜いてくださいって言うから。延命?やめてくださいって、止めるから」

笑って答えたが母は自分の言っていることの意味合いを、深く考えちゃいない。

下の娘なら、あれは強いから大丈夫、ドライにやってくれるだろうと頼んでいるだけなのだ。

怖いんだろう。自分の意思が届かぬところでの未来が。

私はそのとき、自分がどんな心境になるかわからない。責任感で必死になって母の望みを通そうと自分を奮い立たせているのか、動揺して感情的になっているのか。

わからないことは考えない。

未来なんて平等にあるようでないようなものだ。私の未来だって姉のだって、夫も息子も。意外とこの家族、みんな長寿でテレビかYouTubeかの取材がくることになるかもしれん。「元気なこちらのお婆様、100歳を超えた今も週2回の体操教室と週1回の吹き矢に通われているそうです。」などと言われ得意そうにニッコリ笑顔の母が映し出される。

意外と、医学が急速に進歩して、そんな治療自体、なくなっているかもしれん。

それでも私はやっぱり呑気に答える。

「わかったわかった。お姉さんが泣きそうになって、お願いしますって言ったら、キッと怖い顔して、やめてくださいって言うから」

すると母も笑って「お願いよ」と少し安心する。

昨日、姉が胃の検査を受けた。小さなポリープがあってとってきた。

母はやっぱり落ち着かない。

「大丈夫よ。そうやって小さなうちにとっちゃえば大ごとにならないじゃない」

「そうよ、そうなよ。だからあなたに頼んどくわ。私が死んだら毎年、お姉さんの誕生日の頃に、胃の検査に行かせてね」

「死んだらって。当分元気よ、あなた」

先日、体操教室のお友達が朝、畑仕事の最中に倒れてそのまま亡くなった。前日に畑でとれたキュウリをもらったばかりだったのでショックだった。

「あの人みたいに私だっていつ急にポクッと逝くかわからないと思って、今しっかりしているうちに、あなたに言っとかなくちゃって」

これまたこの発言の意味合いを深く考えていない。とりようによったら誤解する。

いーや、私は長いことこの手の発言に悲しんできた。

お姉さんのためにあなたを産んだのよ。

今こそその時なのか。

「わかったわかった。あなたのチューブは引っこ抜き、お姉さんの誕生日にはお尻を叩いて検査に行かせます」

「お願いよ。まだ私も当分大丈夫だと思うけど」

大丈夫です。すべてなるように、この世は回ります。

案ずるでない。