恥ずかしい。
思いっきり恥ずかしい。
昨日はかなり熱く、書いてしまった。ほぼ、感情の垂れ流しだったのではないだろうか。
投稿する前に何度も読み返したつもりだったが、やはり、直視できない。
だけど削除しないのは私の中に込み上げたものをどこか宙に打ち上げたかったから。
若い男性が自分から命を絶った。
特に深い関心があった人でもないのに、なぜだろう、悔しかった。
そうなってしまうことにどこかで「そうだろうなあ」と理解してしまう自分も。
パッと態度をひるがえして彼を批判していた人達を急に攻撃する人たちにも。
攻撃していたことを隠そうと迅速な対応をした人たちも。
何より、その方法に至ってしまった彼の判断ミスも。
小さな小さな、法に触れない程度の間違いが、個々の間違いが重なってものすごい力を持ってしまった。
そういうことはもっと小さな社会であちこちで起きているのだろう。
家庭の中でも、無意識のうちに、あるいは意識的にそれはある。
自分の鬱憤を、誰かを弄ることで晴らす。手っ取り早く下品な方法だ。
ああ、また熱くなってきてしまった。
また恥ずかしい文章を垂れ流している。
今の私は大丈夫。
悲しくなった時はじっとやり過ごす。大抵三日あれば、大丈夫。
ああ恥ずかしい。
でもここでどこか遠いところの誰か達が「そうかそうか、悔しいのか」と聞いてくれることで落ち着きを取り戻せる。
ありがとうございます。
いつもいつもいつも、気持ちが不安定になりそうな時、悲しい時、私を支えてくれるのは、やっぱりここ。
私にこの場所があってよかった。
だからきっと強くなれた。
今日は送り火。
父も祖母も私の会ったことのない祖父もみんな帰っていく。
お父さんもおばあちゃんも、私の様子を見て苦笑しているかもしれません。
そうそう、母が昨日、言いにきました。
「あ、明日の送り火ね、やっぱり麻幹、買っておいてくれる?あのお線香、やめるわ。今度お墓参りに行くときに使えばいいってお姉さんが言ってたからそうする。」
梅沢富美男さんのお芝居を観に行くそうです。元気だ。