もう充分、準備は整ったということにしようか。
なりたい私にもうなったんだという、そんな前提で動いてみようか。振る舞ってみようか。
すこし、その気になって、なりきって。
人と関わることをどこかで、きっと恐れている。
今の今までそんなこと自覚もしていなかったが、やはり、未だに心の奥底の部分では母と姉からの評価を恐れているようだ。
根深い。しぶとい。
ただ、それを生きてゆくための物差しにしなくても大丈夫。そう大きな間違いを犯すことはきっとないと、そんなふうに思えてきた。
そしてそれは関わる人、全ての相手に当てはめられる。
人の反応より、中から湧いてくるものにフォーカスしよう。反応は無責任なものだ。
だからたまに、似た感性の作品や人に見つけてもらったり、見つけたりすると嬉しくなる。
全く発想外の存在を見つけると目が離せない。
そして私自身の反応だって、ときには無意識に誰かを傷つけ、いい気にさせ、喜んでもらったり悲しませたり失望させる。
そんなふうにできているんだから、そこは覚悟しよう。
その中で私自身の正義で生きればいい。それしかない。
許し許されながらやっていく。
見える世界と思考の中で感じる世界。
人とわかりあおうとするより、自分をもっと理解してみるのも面白いことのように思えてきた。
まだまだ未知の自分が中に居る。
ここで縮こまっているのはもうやめて。
母と姉も飛び越えた世の中の人全てが、自分をどう判断するかどんな印象をもつか、それは相手の自由。
わたしは自分を主役にして脚本を書こう。
ベストセラーだって好き好きがあるように。アイドルだって苦手だとか理解できないとか言う人がいるんだから。
私個人が万人に評価されることを意識していると自分を置き忘れていく。
人生ずっと修行。
だけど、基礎コースはもう充分やった。
ここからは応用編。
とことこん自分を掘り下げ、自分の心地よさを味わって、おおらかに。
共感や理解があるとそれは嬉しい。
魂が喜ぶのがわかる。
でもそれを求めて発言したり行動してしまったら、魂が泣く。
私の中の私を一番、エコ贔屓して、ほくほくかわいがろう。
いまこそ、そのとき。